物体版画、沼津で実験 山口源「能役者」 モンミュゼ沼津【美と快と-収蔵品物語(52)】

 約9カ月の休館を経て、新しい運営態勢で今年1月に再出発を果たしたモンミュゼ沼津(沼津市庄司美術館)は、世界的に評価の高い版画家山口源(1896~1976年)の作品約350点を収蔵する。現在の富士市で生を受け、40代後半から亡くなるまで沼津市江浦で創作に励んだ山口の「能役者」は、58年にスイスのルガノ国際版画ビエンナーレ展で日本人初となるグランプリに選ばれた。板や葉といった身近な素材をそのまま刷り出す「物体版画」の大きな成果として知られる。

商業主義を嫌い、亡くなるまで沼津市で制作を続けた山口源(モンミュゼ沼津提供)
商業主義を嫌い、亡くなるまで沼津市で制作を続けた山口源(モンミュゼ沼津提供)


「能役者」 1958年作 photo03 86.0センチ×46.5センチ(東部総局・山川侑哉)
  多色刷りの画面にぽっかりと浮かぶ、木目が鮮やかな板の跡。目を凝らすまでもなく、烏帽子[えぼし]をかぶった人面に見える。落ちていた木をそのまま用いているが、目や鼻、口がはっきり認識できる。沈んだ色調の中に、どことなくユーモアも漂う。沼津市民には、市民文化センター小ホールの緞帳[どんちょう]の絵としても親しまれている。
 モンミュゼ沼津の指定管理者「NPO法人レザミ・デ・ザール」の代表理事で同館副館長の松永純さん(59)は「同じ版木を使って刷った同名作品は県立美術館蔵など、4点把握している」と話す。モンミュゼ沼津では、作品の版木とともに展示している。
 山口が沼津に移住したのは1944年。複製を原則とした従来の木版画とは異なる概念と手法を模索しはじめたのもその頃とみられる。流木や端材、植物の葉などを直感的に組み合わせて画面構成する「物体版画」の実験を繰り返した。「能役者」はその発展形と言える。
 顕彰会「山口源の会」会長の版画家杉山英雄さん(86)=同市=は、晩年の山口のアドバイスを思い出す。「『版木に付いていた虫食いやシミの形を利用してアイデアを深めるのがいい』と言っていた。自然物の形から発想するやり方は『能役者』に通じる」
 モンミュゼ沼津にある「能役者」と版木は、81年に遺族が他の作品や遺品とともに市に寄贈したもの。当初それらを購入予定だった市は、用意した資金を基金化し「山口源賞」を創設した。現在も続く若手版画家の登竜門「山口源新人賞」は、その流れをくんでいる。
 
「見当」設けず構成 photo03 「芝生」 1956年作 59.0センチ×42.5センチ(東部総局・山川侑哉)
 
  「能役者」の2年前に制作。1957年にユーゴスラビア(当時)のリュブリアナ国際版画ビエンナーレ展で優秀賞に選ばれた。
 くっきりと板目が浮き出たものを含め、複数の木による版を組み合わせて画面構成している。「物体版画」の作法に基づき、多色刷りの版画には欠かせない「見当」は設けていない。
 モンミュゼ沼津には遺族から寄贈された版木約千点が収められているが、「芝生」の版木は未特定。松永副館長は「そもそも版木全体の約1割しか作品の特定ができていない。運営態勢一新を機に、作業を急ぎたい」と話す。


モンミュゼ沼津 photo03 モンミュゼ沼津(東部総局・山川侑哉)
 
 沼津市本字下一丁田900の1。元沼津市長の庄司辰雄氏(1916~99年)の私設美術館として91年開館。遺族から建物の寄付を受けた沼津市が2000年、「私の美術館」という意味を持つフランス語「モンミュゼ」を愛称に掲げて再オープンした。山口源関連では作品、版木、関連資料総計約3500点を収蔵。佐伯祐三、梅原龍三郎ら日本の近代洋画家が中心の庄司氏のコレクション約100点もある。
 

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