袴田さん再審確定 ねぎらう当時知る清水区民 現場周辺は言葉少な「ずさんな捜査と裁判 多くの人生狂わせた」

 57年前にみそ製造会社の専務一家4人が殺害・放火された現場がある旧清水市(現在の静岡市清水区)。再審開始が確定した袴田巌さん(87)が30歳で逮捕されるまで20代の一時期を過ごした。「無罪の公算」が各紙の朝刊で報じられた21日、袴田さんと触れ合った人々からねぎらいの声が寄せられた。一方で現場周辺の住民は言葉少な。「翻弄(ほんろう)され続けた半世紀だった」とやり場のない怒りをにじませる高齢者もいた。

地元住民によると、みそ製造会社の専務一家4人が殺害され、放火された現場に今も立つ石造りの蔵の外壁には当時の火災の痕跡のようなものが見られるという=21日午後、静岡市清水区横砂東町
地元住民によると、みそ製造会社の専務一家4人が殺害され、放火された現場に今も立つ石造りの蔵の外壁には当時の火災の痕跡のようなものが見られるという=21日午後、静岡市清水区横砂東町
事件現場
事件現場
西愛礼弁護士
西愛礼弁護士
地元住民によると、みそ製造会社の専務一家4人が殺害され、放火された現場に今も立つ石造りの蔵の外壁には当時の火災の痕跡のようなものが見られるという=21日午後、静岡市清水区横砂東町
事件現場
西愛礼弁護士

 袴田さんが1階でバー「暖流」を経営し、2階で生活した建物が同区の巴川沿いに残る。自身も2018年8月、姉のひで子さんと半世紀ぶりに訪問し「ここ暖流だろ」と話すなど覚えている様子だった。若いころの袴田さんを知る住民も多く、再審開始の確定の報に喜びの声が聞かれた。
 幼稚園児くらいの時に店に入れてもらって遊んだという60代女性は「弟をあきらめなかったお姉さんが素晴らしい」と笑顔。「(袴田さんは)優しいおじさんという印象だけ。事件直後は父母も驚いていた。本当によかった」と語った。
 バーを閉めた袴田さんは、清水区港町にあった酒店経営の男性(故人)の紹介で、同区横砂東町のみそ製造会社で、住み込みで働くことになり、事件に遭遇する。
 男性と袴田さんを知る「純喫茶木馬」の店主坂東昭男さん(85)は「(紹介した男性は事件直後に)責任を感じて『(罪滅ぼしのために)巡礼の旅に出るつもりだ』と話していた。(再審開始の確定は)時間がかかりすぎた」と振り返った。
 現場周辺の住民は再審開始確定の報にも沈黙を貫く人が多い。2014年3月まで被害者の専務の長女が存命で、晩年に精神的に不安定な様子を住民は見ていた。遺族も周辺で生活していて、住民同士で心情を思いやって生きてきた。
 ネット上などで、事件で生き残った長女を真犯人視する根拠のないデマが広がり、混乱に拍車をかけた。やり場のない怒りをどこにぶつければいいか戸惑う人も多い。
 みそ製造会社の東隣の駄菓子屋兼住宅に当時、家族計8人で住んでいた男性(81)は自宅が延焼し、父親が経済的に苦労して建て替えた。「やたらなことを言えない、というのが正直な気持ち。ずさんな捜査と裁判が多くの人の人生を狂わせた」と話した。

識者寄稿 特別抗告断念、世論後押し 正当な判断 元裁判官の西愛礼弁護士
 特別抗告断念は正当な判断だったと思います。
 裁判的には、検察側は既に詰んでいました。最高裁が差し戻した時点で、争点は血痕が長期間のみそ漬けによって黒色に変化するか、それとも赤みが残るのかという点に絞られていました。検察官側も1年以上をかけてみそ漬け実験を行い、裁判官もそれを視察した上で、血痕は長期間みそ漬けにされると黒色に変化して赤みが残らなくなると判断しました。事件から1年以上経過後に発見された「5点の衣類」の血痕に赤みが残っていたということは、この証拠が1年以上みそ漬けにされたものではないということを意味しています。
 そのため、「5点の衣類」は袴田さん以外の第三者が残した可能性が否定できず、事実上、捜査機関の者が残した可能性が極めて高いと判断されたのです。この判断を覆す理屈は考えられません。つまり、唯一の争点については既に高裁で審理し尽くされており、検察官が特別抗告をしようにも理由が何もない状態でした。
 確かに、捏造(ねつぞう)を指摘された捜査機関としては承服しがたい点もあったと思います。その不満を踏まえても特別抗告の断念に至ったのは、検察庁の中にも体面の保持に拘泥せず合理的判断をする検察官がいたということに加え、国内外の世論がその判断を後押ししたからだと思います。その意味で、市民全員で冤罪(えんざい)と戦った成果だと言えます。
 既に審理が尽くされている以上、一刻も早い再審公判の開廷と無罪判決の宣告が望まれます。もっとも、袴田事件を単なる批判で終わらせてしまうと、また同じように冤罪事件が生まれてしまいます。
 私は、冤罪の原因と再発防止に関する検証を行い、冤罪事件から学ばなければならないと思います。証拠の捏造や自白強要に関する捜査過程の調査を行い、その予防策を改めて講じなければなりません。再審に関する規定がわずか19条しかなく、ほぼ戦前の内容のまま約74年間改正されていないという刑事訴訟法の不備も冤罪救済の支障になりました。そのため、証拠開示等に関する再審法改正も実現しなければなりません。
 袴田事件は「再審開始」が決まったばかりであり、これからが重要です。

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