静岡新聞連載小説「家康」8巻刊行 新しい戦国史観 構築 作家・安部龍太郎さん

 作家安部龍太郎さんが徳川家康の生涯を描いた本紙連載小説「家康」の単行本第8巻「家康(八)明国征服計画」が出た。ライフワークを自認する作品はこれが「折り返し地点」。前期の「完」とした。天下統一を果たした豊臣秀吉に臣従する家康は熟慮を重ね、苦悩を深める。「新しい家康像」構築に心血を注ぐ安部さんに創作の背景を聞いた。

古戦場などの現地取材を重視する安部龍太郎さん。「歩いて、見て。地元の人に話を聞いて。それを何回も重ねることが大事」=3月下旬、静岡市葵区
古戦場などの現地取材を重視する安部龍太郎さん。「歩いて、見て。地元の人に話を聞いて。それを何回も重ねることが大事」=3月下旬、静岡市葵区
古戦場などの現地取材を重視する安部龍太郎さん。「歩いて、見て。地元の人に話を聞いて。それを何回も重ねることが大事」=3月下旬、静岡市葵区


 最新刊は秀吉の招きに応じた後陽成天皇の聚楽第行幸(1588年)から朝鮮出兵(92年~)までの時代を描く。
 「北条家を討った小田原征伐をへて江戸城に入場した家康は、進軍する豊臣軍の東北地方征討の大将格に任じられる。大きな転機となった」
 そうした中、秀吉の明国征服計画が持ち上がる。
 「一般的に朝鮮出兵と言われているが、実態が何だったかは誰も触れていない。僕はこれについて、イエズス会が主導したと考えている。そして背後にはポルトガルを併合したスペインがいる」
 絶大な権力を手にした秀吉だったが、窮地に追い込まれてもいた。
 「関白になり、天皇家を取り込む。一方でキリシタン勢力ともうまく付き合う。それが『本能寺の変』(82年)以降の秀吉の基本路線だった。両方を上手に使いこなせると思っていたのだろう。ところがやっぱり水と油。両者は乖離[かいり]していく。秀吉はその中でいわばダッチロールのような状態になった」
 第8巻は、多くの大名の総意を受けた家康が、自ら朝鮮に渡ろうとする秀吉を押しとどめ、幕を閉じる。
 「秀吉が渡海したら、どんな不測の事態が起こるか分からない。それを止めるという判断の先頭に立った家康に支持が集まる。次の天下人への切符を得た場面で締めている」  ◇      「家康」は2015年の新聞連載から始まった。歴史小説家として集大成に取り組む気概だった。  「新しい歴史観を背景に戦国時代を描きたかった。その主人公として家康ほどの適任者はいない。桶狭間の戦い(1560年)から大坂の陣までの55年間、主役級として主要な戦さに全て関わっている。家康を描けば、新しい戦国史観を読者に伝えられると思った」
 江戸幕府を開き、約260年間の平和を築いた家康への崇敬もあった。
 「(家康が掲げた)『厭離穢土[おんりえど]欣求[ごんぐ]浄土[じょうど]』の意味について理解できたことも大きい。家康を書いていると人生の先輩、人生の教師に会っているような気分になる。彼の生き方は、最高の基準。たくさん学ばせてもらっているし、自分自身の人を見る目が少し上がったと思う」
 従来の歴史研究への違和感も原動力だった。
 「(高専で)エンジニアとしての教育を受けているので(戦国時代の)技術や、サプライチェーンが気になる。ところが研究書を読んでも(鉄砲に使う)火薬や鉛をどうやって手に入れたのか、という視点がほとんどない。イエズス会との結び付きがあってこそなのに言及がない。リアリティーが感じられない」
 各種文献をひもとく中で、違和感の正体に気づいた。
 「鎖国史観で語っていることが原因だと思った。(西欧の)大航海時代の中の日本という視点で見ないと分からない」
 小説「家康」は後期に突入する。文献を広く読み、現地を取材するスタイルは変わらない。
 「僕の戦国時代小説の総集編。ここに結実させるためにそれまでの20年間があった。家康はいろいろな作家が題材にしているが、そこに満足、納得できていたら書く必要はなかった。歴史の研究者がどんどん出てきて(従来の説に)異を唱えたり進化させたりしている。そうした研究を参考にする必要がある。あと3千枚は書く」

 イエズス会 カトリック教会の司祭修道会の一つ。スペイン人イグナチウス・ロヨラを中心に結成され、1540年にローマ教皇が認可した。ポルトガル貿易と結び付いて、主にアジアで勢力を広げた。49年には創立者の一人フランシスコ・ザビエルが日本に入り、布教を始めた。

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