夢追った16歳の遺作集出版 17年急逝、焼津の中野祥太朗さん 両親「息子の思い伝えたい」

 2017年1月14日に16歳で短い生涯を閉じた焼津市の中野祥太朗さんが幼少期から冒険譚(たん)やスポーツ小説、詩の数々を書きためた20冊の学習ノートがある。父裕樹さん(62)と母洋子さん(62)が七回忌に合わせて祥太朗さんの未完の遺作集をまとめ、静岡新聞社から自費出版した。2人は「祥太朗の遺志を伝えたい」と願う。

中野祥太朗さんが残したノートを広げ、書籍を確認する裕樹さんと洋子さん=3月下旬、焼津市内
中野祥太朗さんが残したノートを広げ、書籍を確認する裕樹さんと洋子さん=3月下旬、焼津市内
自費出版した中野祥太朗さんの未完の遺作集3冊
自費出版した中野祥太朗さんの未完の遺作集3冊
中野祥太朗さんが残したノートを広げ、書籍を確認する裕樹さんと洋子さん=3月下旬、焼津市内
自費出版した中野祥太朗さんの未完の遺作集3冊

 壮大な冒険物語/スポーツ小説/詩
 祥太朗さんは幼少期から劇団に入り、小学6年生までCS放送の番組にレギュラー出演したことも。創作活動は小学5年生のころから始まった。「アリオンたちの冒険」は、小国のアリオンが勇者と悪に染まったガロウズ・ヘブンを救う物語。挿絵もあり、壮大な世界観がうかがえる。
 「本人が誰かに読んでもらいたくて書いていたことが伝わってくる」と洋子さん。書き直した痕もなく鉛筆でびっしりつづられる。
 プロ野球選手に憧れ中学では野球部に入った。その頃書き始めたのがスポ根小説「ジャイロボール」。個性豊かな登場人物が地区大会優勝を目指す。高校に上がっても野球を続けた。部活が忙しくなり創作は滞ったが、かばんにノートを持ち歩いた。「読者がいるんだ」。当時から語っていた。
 亡くなる前日、体調を崩して早退。校内ではインフルエンザが流行していた。日付が変わって未明、休養していたマンション13階の自宅ベランダから転落した。あまりに突然だった。
 なぜ-。裕樹さんと洋子さんは息子の大事なノートの中に手掛かりを探し求めたが、見つからなかった。「もっともっと書くつもりだったとしか思えない」。息子の残した作品を多くの友人らに見てもらおうと出版を決めた。
 ゲーム作家や役者、小説家、野球選手などたくさん夢があった。「小説はたくさんの夢を追う中で生まれた。『夢はいくつあっても良い』との祥太朗のメッセージが詰まっている」と洋子さん。裕樹さんも遺作集と向き合い、前を向き始めた。
 「やっと内容が理解できた気がする。ずっと何かを探しているだけだったから」
 遺作集はこのほか、詩集「未来の詩」がある。問い合わせは静岡新聞社出版部<電054(284)1666>へ。
 

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