市債削減「トップの覚悟次第」 退任の鈴木浜松市長 政界人脈生かし政策提案目指す
鈴木康友浜松市長は4月末の退任を前に、インタビューに応じた。4期16年で市債残高を1300億円以上削減した行財政改革について「どの自治体も覚悟があればできる。東日本大震災後の防潮堤整備など、財務体質が良いために臨機応変に対応できた政策もあった」と強調した。今後については、政界人脈を生かして情報収集し政策提案する「ロビイングの仕事に関わりたい」との考えを明らかにした。
―市債残高を削減できた要因をどう振り返るか。
「大半のメニューは行革審(市行財政改革推進審議会)で指摘された職員定数の適正化、公共施設の統廃合、外郭団体改革などで、それをしっかりと行政経営に落とし込んだ。毎年の市債発行額を市債償還額以下に抑えて残高を削り、その中で政策を進めた。どの自治体でも可能なはずで、そこはトップの覚悟次第だ」
―行革審を設けても十分に成果が出ない例も多い。
「浜松の行革審が優れていたのは事務局の能力と委員の本気度。優秀な職員と企業の出向社員が事務局で資料を作り、企業経営者が委員として土日返上で勉強して、提言をまとめてくれた。学者中心の行革審だとバランスを考えがちだが、経済人は徹底してコストを削る。この違いは大きい」
―施設廃止や職員数削減への反発はどうだったか。
「そういった印象を抱く人が多いが、具体的に何か困ったかといえば、意外となかった。自分は極力現場へ行き、鍵となる人たちと対話し、同じ目線で考えるように努めた。もちろん課題はあるが、知恵で解決できた事例も多い。浮いた財源は無駄なく政策実現に活用したので、大きな問題はなかったと思っている」
―財政健全化を進めて良かったと感じた場面は。
「東日本大震災後、遠州灘沿岸の防潮堤整備に多額の予算が必要になったが、土砂運搬費など80億円近い経費を市で負担すると決断したことで迅速に事業が進んだ。財務体質が良いからできた。こうした不測の事態に臨機応変に対応できた」
―スタートアップ支援など全国の先駆けとなる施策を次々と打ち出した。
「若い頃、企画会社で課題設定と解決策を考えるコツを得た。自分の発想を面白がってくれる職員も大勢いたから、失敗の責任は俺が取ると伝え、挑戦してもらった。前例のない挑戦は国の規制にぶつかった。ただ、首相だった菅義偉さんをはじめ、官庁のトップほど無意味な規制を嫌うと知っていたから、自分が直接説明に行くと、だいたいそれで解決した。市長の仕事は『営業とけんか』だ」
―EVシフトや脱炭素化で転機を迎えた基幹の自動車産業をどう支えるか。
「特に大変なのは中小企業。次世代自動車センターが各企業の固有技術を生かした業態転換を支援し、好事例が生まれつつある。余力があるうちに新事業を確立し、両利き経営を図ることが重要。市もスタートアップ創業支援の手法を生かし、企業の第2創業を後押ししていく必要がある」
―今後の活動は。
「継続中の課題は軌道に乗るまで見届ける。自分の強みは与野党を含めた政界人脈。これを生かし、日本初のロビイングの会社をつくろうと考えている。霞が関や永田町に働きかけ、政策を作ったり、規制緩和を要請したり。“浜松の用心棒”としても貢献したい」