時論(5月10日)どう読む「夏は来ぬ」

 明治唱歌の十指に入るであろう「夏は来ぬ」は、初夏の風物を歌う。歌える人は愚問と苦笑するだろうか、「来ぬ」の読みは「こぬ」か「きぬ」か。文字だけでは迷う人もいるのではないか。
 答えは「きぬ」。「ぬ」は打消ではなく完了の助動詞。「夏が来た」と言っている。斎藤孝明治大教授(静岡市出身)でさえ、著書「声に出して読みたい日本語」で、高校の古文で習うまで「夏は来ない」と繰り返されることが不思議だったと明かしている。
 卯[う]の花、時鳥[ほととぎす]、五月雨、早乙女、蛍、夕月…。柔らかに移りゆく夏を歌う。作詞は万葉集研究の第一人者だった歌人の佐佐木信綱。小山作之助の曲に詞をつけた。言葉や表現は古歌や古典物語から採り、伝統的な美意識を再構築した。風景が頭に浮かぶ。
 国語力の重要性を強調する数学者藤原正彦さんは、画家安野光雅さんとの対談で小学唱歌や童謡は「日本の宝」と語り合い、歌わなくなるのは「文化の断絶」と憂えている(「世にも美しい日本語入門」ちくまプリマー新書)。
 日本語の歴史は、話し言葉と書き言葉のせめぎ合いだった。両者は平安時代の平仮名文で接近したが、武士の世になって乖離[かいり]。明治時代に言文一致運動が展開されたものの、官公庁の文書まで言文一致になったのは戦後になってからのことだった。
 デジタル社会が急速に進み、スマホ画面をたたく「打ち言葉」が普及。若者言葉のうちはまだいいが、過度の省略や投げやりな表現が感性を退化させないかと心配だ。
 文語で作文はできなくても、文語の美しさに共感できる日本人でありたい。メロディーに乗せて日本のこころを継承していくことはできる。
(論説副委員長・佐藤学)

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