優美なデザインの防火建築帯 「沼津アーケード名店街」編③【アートのほそ道】

 1953年12月に西側が、54年11月に東側が完成した「沼津アーケード名店街」(沼津市町方町)の、2階以上が歩道に突出する「有階アーケード」は、全国でも類のない建築方式だった。沼津市誌(61年)には「沼津の一名所となり、四季を通じて各地から視察に来る特異建築となった」と記されている。

横のラインが強調される「沼津アーケード名店街」第1ブロック=沼津市
横のラインが強調される「沼津アーケード名店街」第1ブロック=沼津市
第1ブロックと第2ブロックの曲面部分。屋根は後年取り付けられたもの
第1ブロックと第2ブロックの曲面部分。屋根は後年取り付けられたもの
横のラインが強調される「沼津アーケード名店街」第1ブロック=沼津市
第1ブロックと第2ブロックの曲面部分。屋根は後年取り付けられたもの

 設計は当時建設工学研究会に所属していた建築家の池辺陽(20~79年)、今泉善一(11~85年)だった。設計段階での沼津との縁は不明。池辺は以後、沼津での仕事を請け負っており沼津産業会館(53年)、沼津公会堂(55年)の設計者としても名を残す。後に東京大鹿児島宇宙空間観測所施設など大規模建築も手がける池辺だが、50年代は代表作「立体最小限住居」など住宅設計に執着していた。
 今泉は沼津の街を火災から守る防火建築帯として建設された名店街に関わった後、57年に「日本不燃建築研究所」を設立。沼津の経験を生かし、全国で防火建築帯を作った。
 静岡理工科大理工学部建築学科の脇坂圭一教授(51)は名店街の建築としての特徴について、水平性を強調した横長の連続サッシ▽隣同士の壁を共有した長屋型の構成▽街区ごとに個性的な立面デザイン―などを挙げる。特にコーナー部分の曲面に着目し「大正期、昭和初期の建築に見られる優美なデザインをほうふつとさせる」と話す。

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