静岡空襲「道に遺体 怖かった」 葵区で犠牲者追悼のつどい 経験者3人 悲惨さ訴え

 戦災の伝承活動に取り組む市民団体「静岡平和資料館をつくる会」は18日、1945年に市民約2千人が亡くなった静岡空襲の「犠牲者追悼のつどい」を静岡市葵区の静岡平和資料センターで開いた。黙とうと献花を行ったほか、静岡空襲などの戦災を経験した3人が戦争の悲惨さを訴えた。

静岡空襲の当時の様子を説明する小長谷さん(中央)=静岡市葵区の静岡平和資料センター
静岡空襲の当時の様子を説明する小長谷さん(中央)=静岡市葵区の静岡平和資料センター

 同区の小長谷実さん(95)、尾白み江さん(93)と磐田市の朝比奈正典さん(85)が語り部を務め、同会会員ら約20人が参加した。
 旧国鉄静岡駅で働いていた小長谷さんは、空襲警報が鳴るたびに防空壕(ごう)への避難を繰り返した経験を語った。空襲後に駅前に出ると、街全体がすさまじい炎に包まれていた。街が燃え尽きた後には駅前から駿河湾や安倍川が見えるほど何も残っていなかったといい、「道には多くの遺体があった。焼けたような遺体もあって怖くて見られなかった」と振り返った。
 尾白さんは当時、沼津市内の工場に動員されていたが、地元の静岡市が空襲に遭ったと聞いて汽車で戻った。静岡駅で降り、「焼け野原の無残な景色は今でも思い出す。空襲の恐ろしさを知った」という。
 現在の静岡市葵区で安倍川沿いの田町地区で暮らしていた朝比奈さんは、自宅近くに米軍爆撃機B29が墜落した時の様子を自作の紙芝居を見せながら語った。墜落した桑畑に倒れていた乗員の米兵に対して住民が大きな石を投げつけた時の鈍い音が今でも忘れられないという。「戦争は人を狂わせてしまう。自分たちの経験を特に若い人に聞いてほしい」と伝承の重要性を訴えた。
 (社会部・小沢佑太郎)

 

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