【D自在】科学者も目指す富士山頂

 一歩一歩、頂上を目指す。登るにつれて気圧が低下し、血中酸素濃度が低くなる。個人差はあるが頭痛、吐き気、だるさ…。葛飾北斎「富嶽三十六景 諸人登山」の人々の疲れ果てた表情が想起される。

富士山剣が峰の旧測候所(2022年8月3日、静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から)
富士山剣が峰の旧測候所(2022年8月3日、静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から)
葛飾北斎「富嶽三十六景諸人登山」
葛飾北斎「富嶽三十六景諸人登山」
夏期観測参加者は5000人を超えた(2019年7月、富士山測候所を活用する会提供)
夏期観測参加者は5000人を超えた(2019年7月、富士山測候所を活用する会提供)
2022年刊行。「読めば富士山の見方が変わります」とNPO
2022年刊行。「読めば富士山の見方が変わります」とNPO
富士山剣が峰の旧測候所(2022年8月3日、静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から)
葛飾北斎「富嶽三十六景諸人登山」
夏期観測参加者は5000人を超えた(2019年7月、富士山測候所を活用する会提供)
2022年刊行。「読めば富士山の見方が変わります」とNPO

 きのう静岡県側の3登山道が開通した富士山の標高は3776メートル。明治時代に参謀本部が科学的に測量した。それ以前は、江戸後期に全国を歩き精緻な地図を作成した伊能忠敬が箱根、三島など37カ所以上から測量し、平均3900メートルと算出。220年前のことだ。
 その後の1828年、ドイツ人医師シーボルトは日本人の弟子に気圧計を持って登頂させ3794メートルと出した。高度と気圧の原理を応用、富士山に科学の光が当てられた。シーボルトが持ち出そうとして事件になった伊能の日本地図。くしくも富士山でつながる。
 山頂には1932年富士山測候所が置かれ、気象庁職員が常駐。極寒、強風など「日本一危険な公務員」とも。64年、富士山レーダーが難工事の末に設置され、台風観測の砦[とりで]に。レーダーは気象衛星に役割を引き継ぎ、2004年、測候所は無人化された。
 いずれ取り壊しの運命にあった施設は、研究者らの認定NPO法人「富士山測候所を活用する会」が国から借り受けた。細長くそびえたつ富士山は周囲の地形の影響がなく、研究には格好の条件をもつ。
 「信仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産に登録されて10年。コロナ下の行動制限がなくなり、今夏は登山者が大幅に増えるとみられている。山頂を目指す理由はそれぞれ。科学者たちは探究心から「登らなければ」と日本一高いところにある研究施設を目指すのだろう。理系の視点を加えると、3776メートルの霊峰の価値がまた増す。
 (論説副委員長・佐藤学)

いい茶0
あなたの静岡新聞 アプリ
地域再生大賞