悲願の鈴鹿8耐表彰台へ エスパルスドリームレーシング率いる生形さん 大けが乗り越え

 静岡市清水区出身のレーシングライダー生形秀之さん(46)は2017年から、レーシングチーム「エスパルスドリームレーシング」の代表兼ライダーとして、国内最高峰の「鈴鹿8時間耐久ロードレース」(鈴鹿8耐)に参戦してきた。前回は最高順位タイの4位に入賞。目標の表彰台まであと一歩に迫り、「今年こそ」との思いを胸に準備してきた。ところが3月の練習走行中に大けがを負い、今回は選手としての参戦を断念。チームのマネジメントを行う代表の立場で改めてチームを率い、悲願成就を目指す。

練習走行中、リハビリも兼ねてバイクにまたがる生形さん(生形さん提供)
練習走行中、リハビリも兼ねてバイクにまたがる生形さん(生形さん提供)

 大きな事故 担当医師から「生きていて良かったね」  栃木県のモビリティリゾートもてぎで行われた、全日本ロードレース選手権(JSB1000)に向けた公式練習2日目。「新しいライディングを試すのに集中していて、路面状況に対するケアが少し足りなかった」。水たまりを踏んだのか、後輪が乱れた。とっさにアクセルを戻した際、車体のコントロールを失う「ハイサイド」が発生した。なすすべなく転倒し、バイクの下敷きになった。
 最初に考えていた「復帰に1、2カ月はかかるかなあ」との淡い期待は、すぐに打ち砕かれた。サーキットの医務室で診察後、ドクターヘリで救急搬送された。骨盤と肋骨6本の骨折。担当した医師が話した。「普通は血管が切れて死んじゃうけど、生きていて良かったね」
 生形さんは1995年から本格的にバイクレースに参戦。全日本ロードレース選手権や鈴鹿8耐などを主戦場に、レーシングライダーとしての実績を積み重ねてきた。その一方、2005年には地元のプロサッカーチーム「清水エスパルス」とタイアップし、自らのレーシングチームを設立した。その中で「いつかは地元から鈴鹿8耐の表彰台を目指すチームを作りたい」と長年考え、17年から現在の運営体制で参戦となった。昨年の結果で弾みをつけ、改めて表彰台を目指して意気込んでいた矢先だった。

photo03 公式練習後、メンテナンスで分解されたバイクたちが並ぶ
過酷な道のり でも一歩一歩

 復帰への道は過酷を極めた。人脈を辿って困難な手術ができる病院を自ら探し、術後はすぐリハビリに取り組んだ。「歩くことができず、車椅子に乗る際にも激痛が走る状態」からのスタート。病室では自ら“残業”と称し、根気よく体を動かし続けた。もちろん不安がよぎり、引退について考えなかった訳ではない。だが「下を向いて言われたことをやるより、自分から前を向いて行うのでは、結果に雲泥の差が出る」。そう信じて一歩一歩進めた結果、想定よりもはるかに早い6月上旬に退院を迎えた。
 直後に鈴鹿サーキットでの公式テストに出向き、レーシングスーツに袖を通した。7月末には出場する車両で走ってみる予定だ。そんな姿に生形さんのファンもブログで声援を送る。「どんな時も前向きな生形選手の姿勢に元気をもらっています」

photo03 右足に負担をかけないように、慎重にリハビリを行った(提供写真) チーム代表として出来ることを

 ただ、チームの目標は鈴鹿8耐で表彰台に立つこと。「代表として、必要ないライダーは選ばない」。その言葉通り、真っ先に自分自身を候補から外し、3人のメンバーを決めた。「うちのチームで走りたいという思いをしっかり持ったライダーが集まった。自信を持って臨める」と胸を張る。
 「幸せは不幸の顔をしてやってくる」。生形さんを長年支援してきた企業の社長がかけてくれた言葉を、今は実感している。「復帰して活躍すれば箔(はく)がつく、と考えれば悪くない。それにこの経験で学んだことを人に伝えて何かの役に立つなら、今回の怪我も無駄じゃないと思える」

photo03 今年のエスパルスドリームレーシングのチームメンバー(提供写真)

いい茶0
あなたの静岡新聞 アプリ
地域再生大賞