先生が言った「リーダーになれ」 新鮮でした 明治大教授(静岡市出身)/海野素央【あのころの私②】

 明治大政治経済学部の海野素央教授(63)=静岡市出身=は2008年の米大統領選で日本人として初めてバラク・オバマ氏の陣営に入り、激戦州で戸別訪問を行った。以降も米大統領選を研究対象とし、主に民主党候補者の選対チーム内で異文化間のリーダーシップやコミュニケーションについて研究している。その原点は、両親の姿と中学時代の恩師の言葉にあるという。

中学時代を振り返る海野素央さん=7月中旬、東京都杉並区の明治大和泉キャンパス
中学時代を振り返る海野素央さん=7月中旬、東京都杉並区の明治大和泉キャンパス
生徒会役員の立候補演説をする海野素央さん(静岡市立大里中の卒業アルバムより)
生徒会役員の立候補演説をする海野素央さん(静岡市立大里中の卒業アルバムより)
中学時代を振り返る海野素央さん=7月中旬、東京都杉並区の明治大和泉キャンパス
生徒会役員の立候補演説をする海野素央さん(静岡市立大里中の卒業アルバムより)

 
 夜、研究が終わって、明治大駿河台キャンパス(東京都千代田区)から御茶ノ水駅に向かう時、学習塾から帰宅するたくさんの小学生に出会います。都内では中学受験が過熱していますから。その様子を見て、自分の小中学生時代との違いを感じます。
 実家は家具の卸販売業を営んでいました。父は「出会いは1分、1秒」が口癖で、誰とでもすぐに打ち解ける人。62歳で家具の塗装技術を生かして絵を描き始め、2作目にして富嶽文化賞展(静岡新聞社・静岡放送主催)で最高賞を取るなど、95歳で亡くなるまで人間関係を大切にすること、人は可能性を秘めていることを体現していました。母は小学校の通信簿で、各教科の成績よりも「協調性」や「責任感」の項目の評価が高いと喜んでくれるタイプでした。
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 地元の静岡市立大里中に進み、1年から3年まで担任だった水谷喜英先生とのご縁がありました。先生は入学したばかりの私に「リーダーになれ」と言ったんです。1970年代、丸刈りの中学1年生には「リーダーシップ」という言葉は新鮮でした。なぜそう言ってくれたのかは分かりません。でも、両親を見ていて幼い時から人間関係づくりが生き方の主軸になっていたから、そんな所から感じ取ってくれたのかと思います。
 先生の言葉を信じてまずは学級委員に。2年生の時には生徒会役員に立候補しました。同じ学年から複数人、1年生から1人立候補したことで、学年の票が割れ、次点でしたけどね。
 立候補演説で何を言おうかと考えたこと、実際に校庭でたくさんの人を前にした時の緊張感は忘れません。常に挑戦を促し、新しい景色を見せてくれた先生には感謝しています。後に私立大の教員になった先生には、大人になってからもお酒を飲みながら大学での指導についてアドバイスをもらいました。
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 当時は「リーダーシップ」とは、単に「人をまとめる」ことだと受け止めていました。しかし、米大統領選や企業を舞台に研究してみると、「メッセージを発信する」「生産性を高める」「異文化適応能力が高い」など、多様な社会でその在り方はさまざま。共通するのは、自分の言葉を人に伝える力があることです。米大統領は演説にプロンプター(原稿映写機)を使いますが、そこに何もないかのように感情を込めて語りかけます。
 米国では高校生や大学生の多くが選挙のインターンシップを経験します。知らない人の家のドアをたたき、出てきた相手に合わせて候補者の政策を伝えるのです。資料やスマホを見るために目線を落とした途端、説得できなくなることを米国の若者は身を持って学びます。
 スマホを介したやりとりは誰にでもできます。どんなに時代が移り変わっても真のコミュニケーションはやはり「フェース・トゥー・フェース」。子供のころから大切にしてほしいと思います。
 (聞き手=教育文化部・鈴木明芽)

 うんの・もとお 1960年、静岡市生まれ。明治大政治経済学部卒業、米国国際大(現アライアント国際大)博士課程修了。2008年、12年の米大統領選では、オバマ陣営の草の根運動員として計約4200軒を戸別訪問した。07年から現職。神奈川県在住。

 

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