遺族会の思い どう後世に 平和の尊さ 伝承願う 浜松・水窪 会員減少 運営苦慮【戦後78年 しずおか】

 戦後78年を迎え、戦争の記憶を語り継ぐ高齢者が県内でも減少している。山あいに位置する浜松市天竜区水窪町の町遺族会は今年6月、会員減を理由に年に1度の慰霊大祭の終了を余儀なくされ、毎年8月15日に開いている慰霊の集いも参加者が年々減るなど、会自体の運営が難しくなっている。町遺族会役員らは、戦争の悲惨さを後世にどう伝えるか答えを見つけられずにいる。

慰霊塔の中に安置された位牌(いはい)堂に入り、296柱の先祖と向き合う知久勝宣会長(右)と山道光一さん=浜松市天竜区水窪町
慰霊塔の中に安置された位牌(いはい)堂に入り、296柱の先祖と向き合う知久勝宣会長(右)と山道光一さん=浜松市天竜区水窪町


 終戦記念日から4日前の8月11日、296柱の先祖が眠る慰霊塔を訪れた町遺族会の知久勝宣会長(81)は「昔は100人以上が終戦記念日に足を運んでいた。今はまばらになってしまった。遺族会以外で訪れる人はほとんどいない」とつぶやいた。元々は約300人いた会員は約100人まで落ち込み、知久会長は任期2年の会長職を約20年続けている。経済面も苦しく、市の予算は数万円程度。慰霊大祭は町遺族会の積立金を削って運営していた。
 遺族以外の会員を受け入れる予定はなく、会員増の有効な手立てはなかなか見つからない。知久会長は3歳の時、戦争で父を失った。「遺族かどうかで(戦争への)思いは違うだろう」と話す。伯父を戦争で亡くした同会幹事の山道光一さん(66)も「遺族としてつながりがあるかどうかが大事なので、若い世代につなげるのが難しい」と同調する。会としては現在、慰霊塔を残すことが唯一の使命だ。
 戦争の記憶が失われる危機感がある一方で、知久会長らは、国内の現役世代の平和に対する意識の低下を不安視する。
 知久会長は「若い人たちは身近で戦争に行った人がいない。あの戦争を人ごとに感じていないか心配だ」と懸念する。
 ロシアのウクライナ侵攻が長期化し、世界では今も戦禍が消えない。地元の若い世代と戦争や平和について話す機会は少ないが、それでも戦争の恐ろしさと平和の尊さは次代につなげたいと強く願う。
 (水窪支局・大沢諒)

 

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