不屈の柔道家・橋本 浜松発“柔の旅”パリへ 32歳でつかんだ集大成の舞台

 不屈の柔道家がついに五輪の畳にたどり着いた。男子73キロ級でパリ五輪代表に内定した橋本壮市(32)=パーク24、浜松市中区出身=は、階級変更を乗り越えてゼロから世界一になり、東京五輪を逃して一度は引退を考えながら再起した。「五輪は夢ではあったがゴールではない。金メダルを取る」。柔道人生の集大成となる戦いが始まる。

稽古で精力的な動きを見せる橋本壮市(右)。パリ五輪代表に内定した=16日、都内
稽古で精力的な動きを見せる橋本壮市(右)。パリ五輪代表に内定した=16日、都内
パリ五輪の柔道男子73キロ級代表に内定した橋本壮市=16日、都内
パリ五輪の柔道男子73キロ級代表に内定した橋本壮市=16日、都内
稽古で精力的な動きを見せる橋本壮市(右)。パリ五輪代表に内定した=16日、都内
パリ五輪の柔道男子73キロ級代表に内定した橋本壮市=16日、都内

東京五輪落選で引退決意も…  170センチの小柄な体で世界王者になるため、東海大3年で81キロ級から73キロ級に転向。強化指定を外れながら、5年後の2017年に世界選手権を制した遅咲きの男は、決死の覚悟で東京五輪の代表争いに臨んだ。
 「稽古、私生活とも信じられないほどストイックにやった」。国際大会で結果を出し、20年2月の代表発表時点で世界ランク1位。それでも、同学年のリオ五輪王者、大野将平氏(旭化成)に及ばないと判断されていることを感じていた。「あと4年、ここまで追い込むことはできない」。直接対決がなかったことに心残りはあったが、気持ちは畳を離れかけた。
 そんな思いを打ち消したのは大先輩が見せた涙だ。全日本男子の井上康生監督(当時)は会見で東京五輪代表選手を読み上げた後、落選した選手を思い浮かべ感極まった。その中には同じ東海大相模高(神奈川)、東海大出身の橋本も含まれた。「井上先生を悩ませず代表になり期待に応えたかった。泣きながら会見させてしまって申し訳ない。1人の男としてこのままでは終われない」。そこから3年。30歳を超え、今春には大野氏も第一線を退く中、世界のトップで戦い続けた。
 世界選手権の優勝から6年、スタイルは変わっても強靱(きょうじん)な精神力は変わらない。最大の武器である「負けを恐れず、覚悟を決めて試合に臨むメンタリティー」で、もう一度、世界の頂点に立つ。
 (運動部・山本一真)

いい茶0
あなたの静岡新聞 アプリ
地域再生大賞