【D自在】徳川家康と鷹狩り
初夢でみると縁起がいいとされる「一富士二鷹(たか)三茄子(なすび)」は徳川家康の好みを言っているという説がある。駿府城公園(静岡市)の「徳川家康公之像」は富士山の方を向き、左手に鷹を据えた鷹狩りのいでたち。風貌から大御所時代であろう。
家康の鷹狩り好きはよく知られる。生涯で1000回以上の鷹狩りをしたとも言われる。数え66歳で駿府に移ってからは1カ月以上の鷹狩りの旅を幾度もした。
先週、静岡新聞社主催のトークショーで小和田哲男静岡大名誉教授が、家康が藤枝・田中城を拠点に鷹狩りをしたことを取り上げ、野山を駆け回り獲物のツルなどを食したことが家康の健康長寿の秘訣(ひけつ)だったと解説した。
田中城には15回以上宿泊しているという。家康最後の鷹狩りは元和2(1616)年正月21日。田中城で就寝中に腹痛を起こし駿府に戻る。「タイの天ぷら」が原因とされる。その年4月17日、死去した(旧暦)。
鷹狩りの手順は狙う鳥獣にもよるようだが、猟犬や勢子(せこ)と呼ばれる補助役に追われて飛び立った鳥や逃げる小動物を、放ったオオタカやハヤブサに急襲させて捕獲する。駆け寄る主、「お見事!」と随行の家来、鷹の得意げな顔…。そんな場面が想像される。
鷹狩りが江戸期に文化まで高められたのは家康の影響が大きく、「生類憐みの令」の綱吉など一時期を除き武士のたしなみとされた。鷹は贈答システムの中で活用され、鷹匠も活躍した。将軍から「御鷹」を拝領し涙を流した大名の話も伝わる。
たくさん歩くのに加え、このコミュニケーションもどこかゴルフに似ているような。今回、参考にした「鷹匠の技とこころ」(大塚紀子著)は図書館のスポーツの書架にあった。
(論説副委員長・佐藤学)