かつお節に宿る明治の「焼津魂」 11月4日の全国サミットで発信 「低級品」試行錯誤で最高位に

 国内有数のかつお節の産地である焼津市。その基礎を作った明治20年代の取り組みに焼津鰹節水産加工業協同組合の大石智之組合長が着目し、11月4日に同市で開かれる全国カツオまつりサミットで発信する。「低級品」の評価に甘んじていたかつお節を当時の水産関係者が条件の悪さを解消すべく試行錯誤し、明治28(1895)年の内国勧業博覧会で最高位を得るまで引き上げた。その過程を紹介することで、今も宿る「焼津魂」を知ってほしいと考えている。

カツオを煮る工程「煮熟」。明治期の工夫は今でも根付いている=20日、焼津市浜当目
カツオを煮る工程「煮熟」。明治期の工夫は今でも根付いている=20日、焼津市浜当目


 サミットで講演する予定の大石組合長はテーマを選定するため、組合が刊行した「焼津鰹節史」を読み返した。江戸時代に土佐、薩摩、紀州に比べて評価の低かった焼津のかつお節が変わるきっかけが、明治20年代に集中していることに注目した。
 当時の焼津は水、鮮度、まきと、かつお節の一級品を製造する条件に適していなかったとされる。明治21(1888)年に設立された同組合の前身城之腰水産物製造販売組合が中心となって製造法の改良に着手。いぶす時間を長くしたり、カビ付けの方法を改良したり、煮方を変えたりした。焼津の水は海に近いことから硬水で煮るのに適していないとされていたが、魚を切った時に出る骨などを一緒に煮ることで「水を軟らかくする」(大石組合長)独自の手法を編み出した。
 漁船の大型化や製造用具の改良も進み、焼津のかつお節は全国最上位と評価が変わった。先人たちの知恵と工夫で編み出した製造方法は一大産地となった今でも根付いている。
 大石組合長は「土佐や薩摩のやり方をただまねるのではなく、焼津に適するように考えた先人たちの努力や意気込みが伝わってくる」と語る。
 (焼津支局・福田雄一)

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