「文芸静岡」創刊60周年 「地域の総合誌」脈々と紡いだ志

 高度経済成長期のさなかに発足した県文学連盟、その機関誌「文芸静岡」が60周年を迎えた。今秋に第93号を発刊。詩、小説、短歌、俳句などの書き手が一堂に集まる、全国でも珍しい「地域の総合誌」として、本県の文芸運動の中心であり続けている。
「文芸というジャンルは年齢による衰えはないかもしれない。近年は作品のレベルが上がっている」と「文芸静岡」の竹腰幸夫編集委員長=静岡市駿河区(写真部・二神亨)
 「文芸静岡」は1963年12月創刊。主導したのは当時静岡大で教えていた作家の高杉一郎(1908~2008年)だった。戦前は改造社(東京)の「文芸」編集責任者を務め、大陸への従軍、シベリア抑留を経て1949年に故郷の静岡に帰ってきた。50年代から60年代にかけて、「静岡文芸」創刊、県芸術祭の入賞作品を掲載する「県内文芸」の立ち上げにも関わっていた。本県の文学の底上げが悲願だった。
これまでに発行された文芸静岡
1963年発行の文芸静岡の目次
 2015年から「文芸静岡」の編集委員長を務める常葉大名誉教授の竹腰幸夫さん(76)=静岡市葵区=は「高杉さんはこの雑誌を、才能を育てる場にしようとしていた」と述べる。11~14年に編集委員長だった山本恵一郎さん(86)=同市駿河区=が最新号に寄せた原稿によると、創刊当初から創作(小説など)、詩、短歌、俳句の4部門に責任者を置き、編集作業を進めていた。
 創刊号の目次にはきら星のような名前が並ぶ。シベリア体験を書いた「極光のかげに」(1950年)がベストセラーになった高杉、全国的に評価を高める前の作家小川国夫(27~2008年)、金子光晴に私淑した詩人茫博(1925~86年)―。竹腰さんは作品群について「メンバーが若く、野心的。時代に対応した、『書きたい』という熱情を感じる」と話す。
 当初は年3、4回の発刊だったが、近年は年1回にとどまる。順風満帆な60年間ではなかった。公的支援が途絶え、廃刊の危機が複数回あった。それでも「文芸静岡」の看板は下ろされなかった。10人以上の編集委員長が雑誌の歴史をつなげた。竹腰さんは「こうした総合誌は、商業出版にも類例がない。先輩たちの努力や経緯を見れば、簡単に放り出すことはできない」と決意を述べる。
 現在の会員は約110人。「ただの仲良しクラブであってはいけない」という意識は健在で、毎秋の発刊後は掲載作について会員が感想を述べ合う合評会を2回開く。作品の質を高めるための、シビアな議論を展開する。
 未来の書き手を発掘するため、来年発刊の第94号から、高校年代を含む若手のページを設ける。竹腰さんが会員の総意を代弁する。
 「少なくとも第100号までは続けよう」
 (教育文化部・橋爪充)

 11月24日から記念展
 県文学連盟は24~27日、静岡市葵区の江崎ギャラリーと会議室、ホールで創立60周年記念展を開催する。刊行物の展示のほか「文学学校」と題した講演や講座を各日に実施。参加無料。問い合わせは同連盟の松沢さん<電054(245)1812>へ。

 

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