競技経験者、初心者 問わず ママになっても 気軽に【町道場のいま~かわる柔道界~㊤】

 「ママでも金」―。柔道五輪金メダリストの谷亮子さん(48)が出産を経て北京五輪に臨んだ際、その超人性を分かりやすく伝える言葉としてよく使われた。ただ、5歳から大学まで競技者として柔道を続けてきた記者にとっては、少しだけ違和感があった。<谷さんだけがずっと特別な存在じゃいけない>。あれから15年。母親になっても本格的に柔道を続けることは、スター選手だからできる特別なことではなくなりつつある。

女性柔道家が多く参加する大仁柔道会の練習=7月、伊豆の国市の韮山高
女性柔道家が多く参加する大仁柔道会の練習=7月、伊豆の国市の韮山高

 金曜日の午後7時、伊豆の国市の韮山高道場で、大仁柔道会の練習が始まる。静かな夜に「こんばんは」の声が響き、柔道着姿の女性が次々と姿を現した。
 畳の隅で体操を始めたのは伊東柔道会から出稽古に訪れた秋山菜穂子さん(47)。母親になって柔道を始めた。きっかけは10年ほど前、当時幼稚園児だった娘が柔道を始めるも、道場には女子が少なく、やめたいとこぼしたこと。幼稚園児が相手なら、未経験でも一緒にできるはずと道着に袖を通した。「最初は前転後転も大変で」と笑うが、練習を積んで40歳で初段を取得した。柔道経験者の夫と子どもたちの会話に加われるようになったし、いろんなことに動じなくなった。柔道を始めてよかったことばかりだとほほ笑む。
 寝技の乱取りが始まった。楽しそうに相手と組み合うのは伊豆の国市の山下詩織さん(33)。娘と息子も幼いときから畳の上。「柔道は相手との距離が近い。人と接することを好きになってくれたら」と願う。
 神奈川県の中学で柔道と出合った山下さんは「学生時代から柔道が大好きだった」と話す。高校選びの条件は「柔道部のある高校」だったほど。それでも「いつか離れなきゃいけない時が来るだろうな」。そう思っていたというが、大好きな柔道をやめることなく、審判資格も取得するなど新たな挑戦を続ける。「環境があるって大事」。練習中、山下さんの笑顔が消えることはなかった。
 大仁柔道会の指導者菊池としえさん(50)も自ら稽古に加わる。現役時代は実業団選手として日本のトップで活躍し、引退後指導者の道へ。
 少年柔道では、子どもと一緒に父親が柔道を始めるケースが少なくない。だから何の気なしに、練習を見守る母親に声を掛けた。「お母さんもどうですか」。返ってきたのは「(母親は)やっちゃいけないと思っていた」。驚いた。
 いろんな柔道への関わり方があっていい。もっと気軽に柔道ができる場を-。以来、親子柔道教室の開催や、子育てや仕事をしながらも指導者、審判として柔道に携わり続けるための環境整備に汗を流す。同会の女性柔道家たちは口をそろえる。「心から柔道を楽しんで、としえ先生みたいに続けていきたい」
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 競技人口減少や2013年の女子柔道日本代表の暴力問題などを受け、開かれた柔道を目指す変革が活発化している柔道界。体罰や理不尽な指導が最近まで残っていたことは否定できない。記者自身、目標に向かって重ねた稽古はかけがえのない経験だったが、“厳しい指導”に追い詰められた日々も長かった。
 パリ五輪を来年に控え、浜松市出身の橋本壮市選手(32)が本県男子柔道初の代表に内定した。そんなトップ選手も柔道を始めるのは多くが町道場。その現場がいま変わりつつある。変革は町道場から。柔道を愛する記者が県内の現場を探った。
 (清水支局・大村花)

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