強さ以外の魅力発信を バルセロナ五輪女子柔道銀メダル 溝口紀子氏インタビュー【町道場のいま~かわる柔道界~ 番外編】

 ここ10年ほど、静岡県内外の地域の柔道場で母親や高齢者などこれまであまり見られなかった層の人々が増えた。その変化の背景と今後の課題について、バルセロナ五輪女子柔道銀メダリストで袋井市スポーツ協会会長を務める日本女子体育大の溝口紀子教授に聞いた。

溝口紀子氏
溝口紀子氏

 ―柔道界の変化をどう見ているか。
 「2013年の女子柔道代表選手による暴力告発や助成金不正受給などの不祥事が転換点。同時期に大阪府の桜宮高バスケットボール部での体罰問題も発覚していた。柔道界が『体質を変えていかねばならない』という意識をようやく強く持ち、変革につながった。武道必修化も大きく影響した。それまでは五輪などでメダルの数を取ればよいと考えられていた時代。そんないわば『強者だけの柔道』から脱却し、柔道の持つ強さだけではない魅力、社会的な価値とは何か考える契機になったと感じる」
 ―柔道の魅力とは。
 「人間関係の希薄化が叫ばれる時代の中で、柔道は相手と濃くコミュニケーションを取る。互いの距離の取り方、適切な間合い、技の返し方、交わし方、受け身の取り方を身に付けることが必要だが、これらの感覚は人との関係性にもそのまま通じる。目の前の相手との関係性を踏まえ、どんな間や距離で、どんなふうに話すのか。柔道を通じコミュニケーションを学べるといっても過言ではない」
 ―県内の柔道界における変革の成果と課題は。
 「“普及”という点では取り組みが成果に結び付いているが、“強化”という点では、強化の中枢を担う役員が高齢化する一方で女性役員の登用が進んでいない現状がある。女性指導者は比較的多い。日本で女子柔道が盛んになり始めた当初から県内の選手が国内外で活躍してきたためOG同士のつながりが強く、道場に子どもを連れて行きやすいなど、指導者を続けやすい環境にはあると思う。危険なイメージがある柔道を習わせることにちゅうちょする保護者にも、同じ母親目線で『大丈夫』と伝えられる。そうすると保護者も安心するようだ。柔道を通じて体の使い方を学び、最終的にほかのスポーツを選んでもその素地に柔道があればうれしいと思っている」
 ―スポーツの在り方はどう変化していくべきか。
 「柔道でいえば、新たに始める人にも『勝ち負けではない魅力』を伝えられるよう取り組む必要がある。そこにまだまだ柔道が活気づく可能性が秘められている。どんなスポーツも勝ち負けを競う“競技”としての側面だけでは持続していかない。先行き不透明な時代、柔道をはじめスポーツには今後、人とのつながりを持てる“社交”の場としての働きが一層期待されるのではないか」

 記者の目 指導のあり方問い直す
 知人が柔道強豪校での日々を振り返り、こう言った。「やめたいというより死にたかった」
 強くなりたいという希望はいつしかぼやけ、いつも考えるのは「怒られないように」の一点。怒号が飛ぶ中、指導者の目を気にして競技する。そんな環境に未経験者がわざわざ加わる気にはならないだろう。“強い者”だけの空間は価値観の交流を妨げ、先細っていく。代表選手への暴力問題や各種不祥事はその帰結だったのかもしれない。
 教訓を踏まえ、全日本柔道連盟は未経験者向けの体験イベントや受け身を生かした転び方教室を始め、新型コロナ禍では活動が制限された現役選手らによる普及に向けた発信も増えた。嘉納治五郎が掲げた「精力善用 自他共栄」の理念通り、柔道を通じた社会貢献意識は高まりつつある。
 スポーツ界全体が体罰や勝利至上主義の課題に向き合っている。関わる一人一人が指導や運営のあり方を問い直し、誰もがそれぞれの目標や楽しみ方でスポーツに親しめる社会が実現することを願ってやまない。
 (清水支局・大村花)

 みぞぐち・のりこ 日本女子体育大学体育学部スポーツ科学科教授。県教育委員、教育委員長を歴任。磐田市生まれ。

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