時論(12月19日)自由に書くため自由に考える

 作文の授業で先生に「自由に書きなさい」と言われて戸惑ったという高校生の投書を16日付本紙「読者のひろば」で読んだ。それを逆手にとって「自由」をテーマに書いた頭の柔らかさに感心した。
 「泳ぎは溺れながら覚えるもの」と言われるが、例えだとしても乱暴だ。絵でも運動でも、何にでも得手不得手や巧拙がある。苦手でも嫌いにならない、させないことが大切ではないだろうか。
 この生徒は、自分たちの世代はなぜ自由に文を書くことが苦手なのかを考え、「決まったことを決められたようにやることが重視され」ていることに着目した。そこまで考えたから、読み手の心に届く文章にまとまった。自由に書く難しさを乗り越えられた。
 マニュアル通り、言われた通りなのは若者に限らない。投稿を読み、自由に書くためには、自由に考えなければならないと改めて肝に銘じた。
 書けば書くほど、書くたびに、頭の中の考えを文章にする難しさを痛感する。それでも書いているうちに思考が整理され、新たな気づきが生まれることもある。
 口幅ったいことを言わせてもらうと、文章を自由に書くには、物事をいろいろな角度から見て、時には疑って、考えることを習慣にするといいと思う。他人の意見や読書に気づきをもらうこともある。数学の図形問題で補助線を引いて考えるのに通じる。
 投稿した生徒は「もっと自由というものに慣れていきたい」と締めくくった。自由は空気に似て、意識しなければ価値が分からない。素晴らしい気づきだ。
 空気が薄い高山では息苦しさやだるさを覚える。思ったことが言えない国もある。本当の自由とは、どんな状態か。
(論説副委員長 佐藤学)

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