藁科の石は天下人の礎 地元児童が見学 静岡・駿府城とのつながり体感

 静岡市葵区の中藁科小の6年生がこのほど、江戸時代初期に藁科地域の採石場「石丁場」で切り出されたとされる石の集まる場所を見学した。藁科産の石は、徳川家康が大御所時代に築いた駿府城の「天守台」に使われていることが近年の市の調査で分かっている。誰もが知る偉人と郷土の由縁を児童に感じてもらおうと同校が企画した。

刻印が施された石を眺める児童たち。石はもともと山中にあったという=静岡市葵区
刻印が施された石を眺める児童たち。石はもともと山中にあったという=静岡市葵区

 地域住民によると、学区内の山中には家紋の刻印や、石を割る前に点線状に穴を開ける「矢穴」が施された巨石があり、多数の刻印が見つかっている。古くから貴重品として扱われ、旧家の庭や公民館の脇などでも見ることができる。
 児童は、地元の石丁場に詳しい佐藤一広さんの案内で切り出された石の集まる山の入り口などを訪ね、矢穴の開け方について説明を受けたり、石を入れた綱を引っ張って重さを体感したりして運搬の苦労に思いをはせた。印が刻まれた山中の巨石の写真を見ると「巨石を直接見たい」と訴える子も。内山健校長は「地域資産として子どもに伝えていきたい」と意気込む。
 市歴史文化課によると、家康が築いた天守台は豊臣配下の大名時代の「天正期」と天下統一後の「慶長期」の二つある。秀忠に将軍職を譲った後に大改修した駿府城の慶長期天守台は東西63メートル、南北69メートルと国内最大規模で、藁科砂岩を含む同市葵区の長尾川流域や焼津市の大崩海岸の石が含まれるという。矢穴の間隔なども藁科に残る石と似ているが、石丁場の具体的な広がりなどの詳細は分からず、謎に包まれている。
 (社会部・大須賀伸江)

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