原田橋見守る功労者の碑に安全誓う 建設費寄付の故原田氏顕彰 浜松・天竜区の崩落事故9年

 浜松市天竜区佐久間町の原田橋近くに、初代原田橋の建設費を寄付した故・原田久吉氏(1837―1929年)の石碑が設置されている。石碑はこれまで一般の道路から離れた場所に構えていたため、しばらく存在感を失っていた。原田橋の大切さを後世に伝えようと、地元住民が要望して昨年夏に移設された。土砂崩れで先代(2代目)の同橋が崩落し、橋の上にいた市職員2人が死亡した事故から31日で9年。故郷の発展を願って私財を投じた同氏の功績に光を当てるとともに「大事故の風化を防ぐきっかけになれば」と地元住民は望んでいる。

原田久吉氏の功績を記した石碑を見つめる大見芳さん=16日、浜松市天竜区佐久間町
原田久吉氏の功績を記した石碑を見つめる大見芳さん=16日、浜松市天竜区佐久間町
原田久吉氏(「佐久間町史下巻」から引用)
原田久吉氏(「佐久間町史下巻」から引用)
原田久吉氏の功績を記した石碑を見つめる大見芳さん=16日、浜松市天竜区佐久間町
原田久吉氏(「佐久間町史下巻」から引用)

 原田氏は現在の佐久間町中部に当たる遠江国豊田郡中部に生まれた。大工の技を磨いて横浜市へ移ると異人館の建築など数々の事業を成功させた。故郷への恩返しにと1915年、天竜川で隔てられた佐久間の東西をつなぐ橋に多額の財を投じ、経済成長や地域交流に寄与した。感謝を込めて、橋には原田氏の名前が冠された。
 石碑は原田橋の恩恵を受けた当時の首長らが建立。感謝の思いが力強い筆致で彫刻されている。原田氏は橋に限らず、学校の校舎の建設や大火で失われた家屋の再建など佐久間のために多大な私財を投じたとされ、地元の功労者として言い伝えられている。
 時間の経過とともに地域のインフラが変化する一方で、石碑は初代原田橋の跡地に残され、30年近く一般の人が見られない状態だった。国土交通省浜松河川国道事務所が地元住民からの要望を受け、移設した。
 佐久間地区自治会連合会の大見芳会長(70)は「ようやく日の目を見ることができた。原田さんにどうかこれからも地域を見守ってほしい」と願う。
 2020年2月末に架橋した今の原田橋(3代目)も開通からまもなく4年。同橋を普段利用する同町の山下邦敏さん(72)は今も「事故を思い出すたびに悔しい思いになる」と明かす。「原田さんの思いが形になった橋。その存在の大切さを住民一人一人が思い知らされる事故でもあった。石碑を見て、この地に起きた悲劇を忘れないようにしたい」と話す。
 (水窪支局・大沢諒)

 原田橋崩落事故 2015年1月31日午後5時10分ごろ、原田橋(2代目)の近くの山で土砂崩れが発生し、浜松市が建設を進めていた新たな橋とともに天竜川へ崩落した。原田橋の上にいた市職員安野彰恭さん=当時(57)=と茶谷富士雄さん=同(45)=が命を落とした。事故から約5年を経て、20年2月に現在の原田橋が開通した。

いい茶0
あなたの静岡新聞 アプリ
地域再生大賞