卓球女子「みうみま」 ライバル対決、見守った母たち パリ五輪明暗も成長

 卓球女子のパリ五輪争いで「みうみま」の明暗は分かれた。5日の代表発表。すでにシングルス枠を手にしていた平野美宇(木下グループ、沼津市出身)が正式に選出された一方、東京五輪金メダリストの伊藤美誠(スターツ、磐田市出身)は団体要員の3枠目からも外れた。かつての天才少女がともに23歳になった今も、五輪切符を懸けてライバル対決を繰り広げた。戦いを終え、2人の母は目を細める。「成長したな」

挫折越え「楽しむ」境地に 平野母・真理子さん「家族も幸せ」
 平野美宇が幼少期にお気に入りだったグッズを手に、まな娘の成長を語る母真理子さん=昨年12月、山梨県中央市「広い海を泳いでようやく岸にたどり着いたのに、もう一度海に出ていった」。大きな挫折を味わった東京五輪の代表選考から4年。悲願のシングルス切符を手にした平野の母真理子さん(55)は、まな娘の挑戦を感慨深げに振り返る。
 一時は重圧で「ラケットを握ると涙が出るような状態」(真理子さん)に追い込まれシングルス枠を逃した東京五輪。団体銀メダルを手にしたことで、真理子さんは「もう卓球を辞めると思っていた」。だから、本人がパリへの挑戦を決めた時、「家族は不安いっぱいで送り出した」という。
 選考レースは2戦連続8位スタート。まだ、前回の「負けられない」という精神状態を引きずっていた。ただ、「少しずつそんな自分と客観的に向き合い、どんな結果でも全てを糧にできるようになった」と真理子さん。勝っても負けても一喜一憂せず、逃げずに前を向く。特にこの1年は試合ができることへの喜び、周囲への感謝がプレーに表れていた。「楽しんできます!」。大会のたび、家族に送られてくるメッセージに変化を実感した。
 大人のアスリートとして手にした初のシングルス代表。真理子さんは「東京で辞めていたら、ここまで成長できなかった」と改めて思う。「卓球を楽しんだ先に結果が付いてくる。小さい頃からずっと言ってきてもなかなかできなかったことに、ようやく『実』が伴った。家族にとっても幸せな3年間だった」

名コンビ解消 伊藤母・美乃りさん「パリ五輪は挑戦の過程」
 パリ五輪選考レースを通じた伊藤美誠の挑戦に目を細める母美乃りさん=1月、磐田市内日本卓球界初の金メダルを手にした東京五輪から2年半。葛藤を抱えたまま走ったパリへの道は険しかった。ただ、伊藤の母美乃りさん(48)の表情はすがすがしい。「美誠が自分でチャレンジした。その過程が私たちのパリ五輪」
 大きな決断をして選考レースを戦い抜いた。2023年2月。当時高校生の横井咲桜(ミキハウス)に敗れ8強を逃した全日本選手権直後の国際大会で、松崎太佑コーチ(浜松市出身)がベンチから外れた。
 当初は「本能的なプレーを取り戻したい」(伊藤)としていたが、「全日本は美誠にとって本当にショックだった。さまざまな思いを抱えた上で『勝っても負けても自分の責任でやりたい』という考えに至った」と美乃りさん。最初のうちは海外遠征に帯同し、会場内でアドバイスも送っていたが、次第にその頻度は減っていった。伊藤の中学進学から約10年、二人三脚で偉業を成し遂げた名コンビはタッグを解消した。
 選考会を勝ち抜くためなら別の選択もあったかもしれない。だが、美乃りさんは「人として成長していく過程で無理にパリに出ても意味はない。1人で走り、納得いくまでやってみるほうが魅力的」と背中を押した。3大会連続の五輪には届かなかったが、後悔はない。「東京までとは違った美誠がいた。この後の人生が色づいて見える」
 (運動部・山本一真)

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