「ビキニ事件」70年節目に平和行進 核兵器廃絶訴え焼津市内 

 1954年に米国が太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で実施した水爆実験で焼津港所属の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくした「ビキニ事件」から70年を迎えた1日、焼津市内で核兵器廃絶を訴える平和行進が行われた。
「ビキニ事件」70年の節目に核廃絶を願って行進する参加者=1日午前9時半すぎ、焼津市内  原水爆禁止県協議会などでつくる実行委員会の呼びかけで、焼津市のJR焼津駅前には県内外から平和団体関係者らが集まった。参加者は核兵器廃絶を訴える横断幕や旗を掲げながら、被ばくの約半年後に亡くなった第五福竜丸の元無線長久保山愛吉さんの墓がある同市浜当目の弘徳院を目指して歩いた。
 境内で行った墓前祭であいさつに立った第五福竜丸平和協会顧問で静岡大の山本義彦名誉教授は「久保山さんの思いを実現すべき」として、政府に核兵器禁止条約の批准を訴えた。
 参加者は久保山さんの墓前で献花し、手を合わせた。2021年に亡くなった元乗組員大石又七さんの義妹河村恵子さんは、事件の記憶の風化を懸念し「自分が語り継いがなくてはいけない」と決意を示した。

核廃絶の動き、原点の焼津から 山本義彦静大名誉教授 禁止条約批准も訴え インタビューに応じる山本名誉教授=静岡市葵区  「ビキニ事件」発生から70年を受けて、第五福竜丸平和協会顧問の山本義彦静岡大名誉教授(79)が1日までに静岡新聞社の取材に応じ、核兵器が脅しの道具として使われている国際情勢を懸念し、政府に核兵器禁止条約の批准を訴えた。平和運動のあり方にも触れ、原点に立ち返って核廃絶の動きを焼津から起こすべきと主張した。
 山本氏は事件について、戦後間もない平和な時代に被ばく者が出た衝撃的な出来事と捉えた上で、54年9月に元無線長久保山愛吉さんが亡くなったことをきっかけに「人々の中に核兵器はだめという空気になった」と語った。
 70年が経過したことによる事件の風化を防ぐため、史実の掘り起こし続ける必要性を強調。「核廃絶の願いは一つのはず」として、党派を超えて「反核平和」に向けて行動すべきとの意見を述べた。「事件を通じて核のことを考える若い人が増えている」とし、事件の継承に期待を寄せた。
 核兵器禁止条約については、核実験場だった南太平洋や旧ソ連の諸国が参加していることに注目。「核を脅しに使い、ほかの国に恐怖心を与えるような国際外交はすべきではない」と強調した。

いい茶0
あなたの静岡新聞 アプリ
地域再生大賞