【311メディアネット】防災に即効薬なし 誰もが語り部、当事者に 11地方紙宮城でワークショップ

住民に備えを促す防災報道を目指しアイデアを出し合う記者たち=2月18日、仙台市青葉区の河北新報社 静岡新聞社や河北新報社(仙台市)など全国の地方紙、放送局でつくる「311メディアネット」は2月17、18の両日、宮城県で防災ワークショップ「むすび塾」を開いた。11地方紙の若手記者が東日本大震災の被災地を視察した後、助言者に東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授(41)を招き、防災報道について意見を交わした。むすび塾の実施は114回目。

地方紙11社記者 東日本大震災の遺構視察
 一行は津波被害を受けた4カ所を視察。気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館で気仙沼向洋高2年熊谷操さん(17)、階上中2年芳賀世剛さん(14)、南三陸町の旧防災対策庁舎で佐藤仁町長(72)、石巻市震災遺構大川小で大川伝承の会の永沼悠斗さん(29)、山元町震災遺構中浜小では元校長でやまもと語りべの会の井上剛さん(66)、千尋真璃亜さん(22)に話を聞いた。
 語り合いは、仙台市青葉区の河北新報社本社で実施し、前半は被災地を視察した感想を述べ合った。神奈川新聞の沢村成美記者(26)は「語り部たちは震災の被害だけでなく、これから起きる災害に向けてできることを話していた。自分が今、何をすべきか問われていると感じた」と話した。
 新潟日報の奥村直之記者(35)は大川小の震災前の生活と、それが一瞬で失われたことに触れ、「災害は身近に起こり得る」と意識した。「永沼さんは『語り部として誰でも言い伝えていい』と話した。それはメディアも当事者だということだろう」と述べた。
 阪神大震災の被災地から参加した神戸新聞の名倉あかり記者(28)は「神戸に比べて遺構がたくさん残っていることに驚いた。建物を見上げて体感した津波の高さは説得力があり、まさに『物言わぬ語り部』だった」と発言した。
 「永沼さんは震災2日前の前震で危険を感じながら、家庭や地域で備えを訴えなかったことを後悔していた」と高知新聞の高井美咲記者(29)。「南海トラフ地震に対する住民の防災意識に温度差がある。事前に、地域で話し合っておくことが重要だ」と語った。
 佐藤准教授は「これをしたら防災が地域に広がるという即効薬はない。地道に防災の情報を発信し続けてほしい」と求めた。
 後半は防災報道の課題を話し合った。多くの記者が、防災情報が住民に届いているかどうか疑問を抱き、災害を「自分ごと」として捉えてもらう伝え方に、悩んでいた。
 宮崎日日新聞の山田健太記者(26)は「語り部たちの話を聞き、地域コミュニティーが防災に役立つという視点が、まだ地元に浸透していないと感じた。沿岸部と内陸部の助け合いを含め、日頃から住民が関係を深めるような報道をしていく必要がある」と述べた。
 京都新聞の井上真央記者(34)はアンケート、ワークショップといった多様な防災報道の展開を提案し、「記者自身の感想や体験を交えながら災害や防災の記事を書けば、もっと読者に身近に感じてもらえるかもしれない」と話した。
 「地元と被災地の似ているところに焦点を当てて情報を届けると、住民の防災行動につながるのでは。地域の実情に詳しい地方紙の強みも生かせる」と述べたのは中日新聞の讃井絢香記者(24)。「記事を通して、被災地に足を運ぶきっかけをつくりたい」と続けた。
 能登半島地震の報道を踏まえ、静岡新聞の崎山美穂記者(26)は「現地の被害だけでなく、静岡で地震が起きたらどうするのか、視点を地元住民に近づけて伝える必要がある。自分の命を守るのはもちろん、誰かを守りたいと思わせる工夫も大事だ」と語った。
 東京新聞の昆野夏子記者(28)は能登半島地震で家屋倒壊による犠牲が相次いだ点を指摘し、「東日本大震災の報道で津波の危険性は認識されたが、他のリスクもあることを伝え切れていなかったのではないか」と問題提起した。
 河北新報の渡辺拓斗記者(24)は「佐藤町長は『津波が発生したら、自分で逃げるしかない』と自助の重要性を訴えていた。家庭や地域に合った備えにつながるよう、他地域の事例を伝えたい」と話した。
 北海道新聞の武藤里美記者(31)は「将来、宮城県沖地震が起きると言われていた宮城県でも、これほど甚大な被害が出た。地震の発生確率が低い北海道の日本海側の地域に、どう伝えれば防災対策を促すことができるのか、考えないといけない」と語った。
 佐藤准教授は「どこかで災害が起きたときに、住民は防災の感度が最も高まる。そのタイミングを逃さず、備えを呼びかけてほしい」とアドバイスした。

気仙沼向洋高旧校舎 2、3秒で… 津波猛威  気仙沼市東日本大震災遺構の気仙沼向洋高旧校舎は4階まで津波が押し寄せ、同階に冷凍工場が激突した跡、3階に突っ込んだ車などが残る。発生当時、生徒170人がいたが全員避難し無事だった。
語り部の熊谷さんに、旧校舎1階の被害の特徴について説明を受ける記者たち=2月17日、気仙沼市の東日本大震災遺構・伝承館  同校語り部クラブの2年熊谷操さん(17)は津波で家が流失し、避難生活を経験。高校で語り部活動を始めた。「津波は物を巻き込んで威力を増し、体育館屋根は2、3秒で流された」と解説。「記憶がない部分もあるが震災を伝えたい。同世代や震災後生まれの子に他人ごとと思ってほしくない」と訴えた。

南三陸町 旧防災対策庁舎 九死に一生 町長苦悩  南三陸町の旧防災対策庁舎は、東日本大震災で津波被災した町中心部にあり、一帯は町震災復興祈念公園として整備された。骨組みと床面、外階段が残る。津波は3階建ての屋上に到達。町職員ら43人が犠牲になり、行政機能は窮地に陥った。
佐藤町長は記者たちに、震災発生直後の壮絶な体験を語った=2月17日、南三陸町の旧防災対策庁舎  佐藤仁町長(72)も屋上で津波の直撃を受けた。「津波から逃げるためアンテナに3回上った。必死だった」と振り返った一方、震災後は精神的に苦しんだことを明かし「ここで多くの職員が亡くなった。自分の命を守ることの大切さを伝えて」と呼びかけた。 山元町・中浜小 「黒い水の壁」に恐怖  山元町震災遺構中浜小は海から400メートルの場所にあり、東日本大震災の津波が2階建て校舎の2階天井近くに到達。児童ら90人は屋上の屋根裏倉庫に逃げ無事だった。折れたコンクリート製の時計台の柱、寒さをしのぐために段ボールや学習発表会の道具が敷かれた倉庫が津波の威力と避難の実態を伝える。
校舎を襲った津波の威力について説明する語り部の千尋さん=山元町の震災遺構中浜小  やまもと語りべの会のメンバーで、同小3年だった千尋真璃亜さん(22)は「防潮林から真っ黒い水の壁が上がるのを見た。一気に恐怖が募り『死にたくない』と同級生と泣き叫んだ」と当時を振り返った。

石巻市・大川小 備えせず 弟失い後悔  石巻市震災遺構大川小は東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が亡くなった。海から約4キロ、北上川をさかのぼった津波が、橋に引っかかった流木などにせき止められ、地域を襲った。倒された渡り廊下、2階天井の跡が津波の破壊力、高さを物語る。
記者は、語り部の永沼さんの話を聞きながら、震災前の学校生活に思いを巡らせた=2月17日、石巻市の震災遺構大川小  当時2年の弟を亡くした大川伝承の会の永沼悠斗さん(29)は、3月9日の前震に触れ「自分は海にいて怖くて逃げたが、家族とその話をしなかった」と語る。「震災までの2日間、何もしなかったことが人生最大の後悔。事前の備えにつながる行動をしてほしい」
 

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