清水東高サッカー部監督で4度の全国V 勝沢要さん死去 85歳 「三羽がらす」ら輩出

 清水東高サッカー部監督として、全国高校選手権と全国高校総体で同校を4回の日本一に導いた勝沢要(かつざわ・かなめ)氏が5日、老衰のため静岡市清水区の病院で死去した。85歳。通夜は8日午後6時から、葬儀は9日午前10時から、同区江尻台町1の1、あいネットホール江尻台で行う。喪主は妻保子(やすこ)さん。

 勝沢氏は旧清水市(静岡市清水区)出身。1966年から21年間にわたって母校の清水東高を指揮し、72年に全国高校総体で初優勝。80、81年には総体を連覇し、82年度に全国高校選手権で初優勝を果たした。「三羽がらす」と呼ばれた長谷川健太氏(名古屋グランパス監督)、大榎克己氏(県サッカー協会副会長)、堀池巧氏をはじめ、反町康治氏(清水エスパルスGM)や武田修宏氏ら多くのJリーガーを輩出した。
 87年の県教委転出に伴って監督を退き、その後は熱海高、掛川西高、藤枝明誠高の校長を歴任。2003年から熱海市教育長を務め、07年からは清水エスパルスの顧問も務めた。
「王国をリード」教え子ら功績たたえる
 清水東高を指揮して日本一4度と黄金期を築き、多くのJリーガーを育てた勝沢要氏(85)が亡くなった5日、県サッカー界には、功績をたたえるとともに、悲しみの声が広がった。
 1982年度の全国高校選手権初優勝の原動力となり、長谷川健太氏、堀池巧氏とともに「三羽がらす」と称された大榎克己氏(59)=県サッカー協会副会長=は、「静岡のサッカー界をリードしてくれた監督」と悼んだ。勝沢氏の意思を継いだ選手は多く、自身もプロ入りした時から恩師に言われてきた「清水のサッカーを頼むぞ」という言葉を胸に刻んでいる。
 静岡学園高の監督としてしのぎを削った井田勝通氏(82)は勝沢氏を「文武両道にこだわるカリスマ。最高のライバルだった」と振り返る。指導者として尊敬する存在でもあり、95年度の全国高校選手権で同校が鹿児島実高と両校優勝した際に「『井田君よかったな、とうとうやったな』と声をかけられたのが忘れられない」と懐かしんだ。
 勝沢氏が2007年から顧問を務めた清水エスパルスは功績をしのび、6日のザスパ群馬戦と、11日の鹿児島ユナイテッド戦で選手が喪章を着けて臨むと発表した。

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