ちゃっきり節 新メディアが流行後押し【しずおか学・地域のうた編】

 静岡電鉄(現静岡鉄道)が「狐ケ崎遊園」(後の狐ケ崎ヤングランド)=静岡市清水区=の開園を記念して1927年に制定した「ちゃっきり節」(北原白秋作詞、町田嘉章作曲、原題「ちやっきりぶし」)は、当初お座敷歌として人気を博したが、当時の新しい情報伝達ツールが「全国区」に押し上げた。

1957年、静岡市の草薙陸上競技場で開催された第12回国体秋季大会開会式での「ちゃっきり節」マスゲーム
1957年、静岡市の草薙陸上競技場で開催された第12回国体秋季大会開会式での「ちゃっきり節」マスゲーム
2023年7月1日に三島市民文化会館で行われた第33回ちゃっきり節日本一全国大会。ことしも6月23日に同館で開催予定
2023年7月1日に三島市民文化会館で行われた第33回ちゃっきり節日本一全国大会。ことしも6月23日に同館で開催予定
1957年、静岡市の草薙陸上競技場で開催された第12回国体秋季大会開会式での「ちゃっきり節」マスゲーム
2023年7月1日に三島市民文化会館で行われた第33回ちゃっきり節日本一全国大会。ことしも6月23日に同館で開催予定

 28年1月、NHK東京放送局で、町田の指揮する生演奏に乗せて静岡の芸者衆が「ちゃっきり節」を歌った。31年に人気芸者の市丸が吹き込んだレコードも大ヒットした。静岡の文化史に詳しい中村羊一郎・前静岡市歴史博物館長は「新しいメディアの登場は『歌』の概念を変えた。みんなで歌って楽しむものから、プロの歌唱を聴くものになった。『ちゃっきり節』は転換する時代の象徴という捉え方もできる」と解説する。
 「ちゃっきり節」は第2次大戦後も本県を代表する楽曲として認知度を高めた。57年の国体秋季大会開会式では地元の女性団体が「ちゃっきり節」のマスゲームを披露した。70年代以降は県内の民謡団体などが米国や中国で披露し、国際文化交流の一翼を担った。
 100年近くの口づてで、鉄道のPR曲は半ば「民謡」として認知されるようになった。日本民謡協会(東京)の認定部員で尺八奏者の佐々木淙山さん(77)は「『○○小唄』『○○音頭』など、市町村や観光地の宣伝目的で作られた“民謡”は多数存在する。歌謡曲として作られたうたが、地域性や物語性で“民謡”として扱われた例もある」と分析し「ちゃっきり節」もその一類型とした。
 (教育文化部・橋爪充)

節回しに高度な技巧必要
 「ちゃっきり節」は、節回しに高い技巧が必要なことでも知られる。県民謡協会(沼津市)の鈴木峰謡会長(73)は「音が取りにくい。自分で(歌の流れを)つくりすぎると汚くなる」と話す。一風変わったリズムも難題。「(最後の歌詞の)『きやァるがなくんて』の後に半間で『雨づらよ』を入れなくちゃならない」。決めのフレーズを2分の1拍早く、鋭く切り込む必要があるという。
 同協会は1988年から毎年「ちゃっきり節日本一全国大会」を開催する。「ちゃっきり節」だけを歌って優劣を競う大会。最盛期は全国から150人がエントリーした。近年も約80人が集う。
 昨年の第33回は、史上2人目の男性チャンピオンが誕生した。栄冠を得た大塚有朗さん(69)=千葉県浦安市=は「『夏はたちばな』で裏声を使うので、男声は切り替えが難しい」と分析する。「がならず、色気を出しながら高い音を柔らかく歌う」と美しい歌唱の秘訣[ひけつ]を語った。

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