戦後復興の象徴「日赤前のクスノキ」次代に 静岡平和資料館をつくる会、挿し木の地植え先模索

 約2千人が犠牲となった1945年の静岡空襲で焼けながらも3年後に芽吹き、戦後復興のシンボルとなった「日赤前のクスノキ」(静岡市葵区)の樹勢が弱まってきたとして、静岡平和資料館をつくる会が3年前から枝を挿し木して育てている。2株が樹高40センチを超え、同会は公園などの地植え先を探している。

挿し木用の枝を採取した「日赤前のクスノキ」=静岡市葵区
挿し木用の枝を採取した「日赤前のクスノキ」=静岡市葵区
挿し木から3年で高さ40センチを超えたクスノキの苗木=6月下旬、静岡市葵区の静岡平和資料センター
挿し木から3年で高さ40センチを超えたクスノキの苗木=6月下旬、静岡市葵区の静岡平和資料センター
挿し木用の枝を採取した「日赤前のクスノキ」=静岡市葵区
挿し木から3年で高さ40センチを超えたクスノキの苗木=6月下旬、静岡市葵区の静岡平和資料センター

 クスノキは爆撃中心点の近くにあった静岡赤十字病院前にあり、高さ16メートル、樹齢は推定150年以上。静岡新聞の戦後50年特集で「勇気をもらった」という投書をきっかけに保存活動が展開された。2014年には日本樹木医会県支部の調査で根の張りが悪いことが分かり、土壌改良をした。つくる会は枯死の事態も想定し、18年に挿し木を始めた。
 数センチの枝を挿した90株を複数の会員宅に分けたが、親株が若木でないことや、時期が通常とずれたため栽培は難航。大きくなったのは同市清水区の真田喜代美さん(73)が、夫剛志さん(79)と手掛けた2株だけだった。
 同会は移植先を探しているが、断られるなどして、見つからない状態が続いている。真田さんは「困っている。公園や大学などの施設なら、皆の目に止まるかも」と希望する。
 会員として関わってきた樹木医の水戸喜平さん(80)=同市葵区=は「物語のある木だからこそ、大木に育つような場所に植えてほしい。根のダメージを抑えるためには苗木が小さいうちに移植した方が良い」と話す。
 問い合わせは同会<メール shizuoka-heiwa@nifty.com>へ。

いい茶0
あなたの静岡新聞 アプリ
地域再生大賞