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すろーかる

3年に一度の藤枝大祭りと、多くの人の憩いの場となっている蓮華寺池を取材してきた

江戸時代から現代へ、受け継がれてきたもの

藤枝大祭り

藤枝大祭り

藤枝大祭りは、藤枝宿のあった旧東海道で3年に一度『寅、巳、申、亥』の年に行われる祭りだ。本来は去年の予定だったが、コロナの影響で変則的に今年の開催となる。期間は10月6日(金)から8日(日)の3日間。

地踊りの練習風景

見どころは、長唄による地踊りや、大きなてこ棒を使った力強い屋台の引き回しだ。長唄による地踊りは、参加する14の地区すべてが3曲以上、長唄・三味線・はやし方というフルメンバーによる演奏で披露し、踊り手も数百人と、規模・質において日本一のものだ。

大祭りは江戸時代、田中城の鬼門を守る青山八幡宮の大祭で、藤枝宿の屋台が神輿渡御(みこしとぎょ)の行列に付き従ったのが始まりだ。

その後、明治に入り田中藩が解体されると、藤枝宿の総社である飽波(あくなみ)神社の例祭に屋台の引き回しが移行された。当時は、江戸で最も発展した『三層高欄型山車』と、唐破風(からはふ)屋根に踊り舞台を備える『踊り屋台』が結合した独特な山車屋台だったそうだ。しかし、電線や電話線が敷設されると、三層の高欄部分がどうしても引っかかってしまうため、やむなく踊り屋台のみの形に変わったという。

神社の横に屋台が出ると祭りが始まる合図

大正時代には、長唄界で活躍していた藤枝の左車(さぐるま)出身の六世・芳村伊十郎を迎えて、現在のような長唄による地踊りの披露という形が整えられた。

そして、1992年に名称が『飽波神社例大祭』から『藤枝大祭り』に変わり、現在まで続いている。

今年はプレイベントとして、藤枝市の伝統文化を楽しく学べる体験・鑑賞イベントを10月1日(日)に藤枝市民会館で開催。長唄の伴奏で使われる三味線とおはやしの体験(対象:園児から中学生)や、雅楽、長唄を鑑賞することができるそう。

藤枝駅に設置された、来場者を歓迎する飾り

「幅広い世代の人たちが参加するこの祭りは、地域のつながりや人間関係を作ることにも大きな役割を果たしています。それらを次の世代に継承していくために、若い世代にも興味を持ってもらいたい。藤枝市の一部地域の祭りではなく、藤枝市の祭りとして市内、市外の人たちに参加したり楽しんだりしてもらえたら嬉しいですね」と藤枝大祭連合会の秋田さんは話す。この機会に、藤枝で開催される日本一の祭りへ足を運んでみてはいかがだろうか。
 

蓮華寺池の歴史

蓮華寺池

蓮華寺池は、江戸時代の初め1613年に作られた人工のため池だ。当時、周辺の村々では瀬戸川から水を引いて農業を行っていたが、用水の末端である五十海(いかるみ)、市部(いちべ)の両村は水の確保が難しかったそうだ。そこで、隣の若王子(にゃくおうじ)村と相談し、同村の敷地内に築造したという。

池は、レンコンや魚、冬に飛来する渡り鳥など、若王子村に様々な恵みをもたらした。しかし、時代が進むと作物増収のため、池の一部を埋めて耕地にしようとする者が現れ、池の管理をめぐり村同士の争いがたびたび起こったそうだ。

名主たちを称える顕彰碑

明治に入ると旧幕臣たちの多くが静岡に移住してきたことで、食料増産の必要性が生じ、静岡藩で水利や開墾を指揮していた松岡萬(つもる/よろず)により、池の埋め立て命令が下る。五十海村と市部村では池の水が不可欠であったことから、市部村の庄屋、市川忠五郎らが松岡を説得に赴いたそうだ。熱心な説得が功を奏し、埋め立ては撤回。何度も消滅の危機に直面した蓮華寺池だが、先人たちの功績により現在まで残り、今は多くの人の憩いの場になっている。

<DATA>
藤枝大祭り
日程:2023年10月6日、7日、8日
場所:旧東海道藤枝宿周辺
地踊り披露:6日 自区廻り/7日、8日 祭典本部(千歳公園)前と旧東海道藤枝宿周辺
奉納踊り:期間中、飽波神社にて順次披露
※屋台の現在地は屋台位置情報サービスを参照
問合せ:藤枝市観光案内所 (054-647-1144)

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