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津島町ってどんなところ? 津島町やその周辺、名前の由来となっている津島神社を取材してきた

津島町とその周辺

安倍川にほど近く、駿河区と清水区をつなぐ静岡県道407号静岡草薙清水線(通称:南幹線)に隣接する津島町は、1976年の住居表示により大字中原(おおあざなかはら)の一部で新設された町。町名の由来は町内にある津島神社によるそうだ。

同年に、西中原や緑が丘も新設されており、西中原は大字中原と南安倍町と青木三丁目の各一部で、緑が丘は大字中原と中野新田の各一部で構成された。緑が丘の町名は第二次世界大戦後、この場所に住み始めた人々によって用いられていた通称をそのまま公式に採用したものだという。

現在の津島町周辺は、戸建の住宅やマンションなどが多くなっているが、戦後しばらくは一帯が田畑で、大浜の松がよく見えたそうだ。その後、徐々に田町や他の場所から家具職人などが移り住んできて、家具の製造などを行う木工所が多く立ち並んでいった。また、家具の生産が盛んになるにつれて、それに関わる木材所や塗装屋なども増えていき、にぎやかになったという。

今のスーパーマーケット ザ・ビッグ静岡新川店のあたりには起立木工、中原にあるパチンコUPLYには東海家具の工場、スーパーオートバックス静岡中原店の場所には木材所が何件かあったそうだ。今は、工場の機能を他に移したところも多く、数は少なくなってきているが本社や機能の一部を残している会社もあるため、よくよく観察してみると昔の面影を見つけることができるかもしれない。

津島神社

津島神社

町名の由来となった津島神社の創建年月は不明だが、1875年に村社に列格された。また、昔は現在のスーパーオートバックス静岡中原店の東側にあったという。今の場所に移ったのは1965年8月のことで、住民が協力して社殿を曳家(ひきや)と呼ばれる建物を解体せず移動させる方法により、現在の場所に移転させたそうだ。

主神はスサノオノミコトで、津島町、新川二丁目の3、中原、西中原の氏神となる。主な祭祀は、6月30日の『夏越の大祓祭』、お盆の時期に行う『祇園祭』、10月の『例祭』、1月1日の『歳旦祭』がある。

夏越の大祓祭は、半年の間に身についた罪穢れを祓い落とす祭りで、紙を人の形に切った『形代』に息を吹きかけ、身についた罪穢れを移し神社に収める。また、神社に設置された茅の輪を八の字を書くようにくぐることで穢れや災いを祓うという。

祇園祭では、夜に盆踊りを行っていたが、コロナ禍で中止となり今年も引き続き中止するとのことだった。

巫女舞

一年の中で最も重要な祭祀である例祭は、今年は10月15日に行われる予定で、地元では『日待祭』とも呼ばれている。午前には『子供神輿』があり、16時頃から行われる本祭では巫女舞の奉納もある。踊るのは地元の小学生で、希望者の中から毎年8人くらいが、2ヶ月ほど練習した舞を奉納する。この行事自体は近年始まったもので、背景には神社に関わりを持つことで、神社や自分たちが住む土地に興味を持ってもらえたらという思いもあったという。

子供神輿

今回の取材時には夏越の大祓祭が行われており、当日は周辺の住民の方たちが入れ代わり立ち代わり神社を訪れていた。中には家族連れもいて、神社や地域との関わり方は変わってきているかもしれないが、大切にされてきたものが、次の世代、そして何世代も先に引き継がれていってほしいと感じる場面もあった。

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