スズキ リンス選手Ⅴで有終 二輪レース「MotoGP」撤退

 スズキはスペイン・バレンシアで6日開かれた二輪車のロードレース世界選手権「Moto(モト)GP」今季最終戦を終え、ワークス(メーカー)チームとしての参戦から撤退した。1974年の初参戦以降、名選手を擁して世界中のファンを沸かせてきた。今後は脱炭素やEV(電気自動車)シフトなど自動車業界の大変革期に対応し、各社がしのぎを削る次世代技術開発に経営資源を振り向ける。

一度も首位を譲ることなく、安定した走りを見せたアレックス・リンス選手=6日、スペイン・バレンシア(スズキ提供)
一度も首位を譲ることなく、安定した走りを見せたアレックス・リンス選手=6日、スペイン・バレンシア(スズキ提供)

 最終戦はアレックス・リンス選手(26)がマシン「GSX―RR」を駆って終始トップで走行。今季2回目の優勝を果たし、有終の美を飾った。ワークスの「チームスズキエクスター」の全20戦終了時の総合成績は6位。モトGPとともに終止符を打った世界耐久選手権(EWC)の年間成績は総合2位だった。
 同社は国内主要メーカーの発祥地で「バイクのふるさと」といわれる浜松市に本社を置く。レース撤退に地元からは惜しむ声が上がった。
 同市東区で二輪販売修理工場を営む二橋久晴さん(62)は88年から96年まで、メカニックとしてスズキワークスに携わった。担当ではなかったが、当時はケビン・シュワンツ選手が活躍。「豪快、爽快で記憶に強く刻まれたライダー。選手を支える現場が楽しかった」と振り返る。参戦終了には「時代の流れで、やむを得ない」と残念がった。
 モトGPは毎回視聴し、選手のレース運びを参考にしているという高校生ロードレーサーの福田琢巳さん(16)=浜松城北工高1年=は「海外メーカーの勢いがある中、日本のマシンやチームには頑張ってほしかった」と思いを込めた。
 モトGPなど二輪レースには企業やマシンのPR、過酷なレースを通じて技術力を磨く狙いがあった。スズキの鈴木俊宏社長は「参戦はブランドや技術開発に貢献したが、活用面には反省もある。今後は自動車の次世代技術の対応に注力し、遅れを取り戻す」と話した。

 <メモ>スズキは1974年、世界各地を転戦するMoto(モト)GPの前身に当たるワールドグランプリに参戦した。80年代半ばに休止したが、88年から再びフル参戦。2012~14年の休止後、15年に復帰し、出場を続けた。輩出した年間王者はバリー・シーン、ケビン・シュワンツ選手ら6人(7回)。直近ではジョアン・ミル選手が20年、ケニー・ロバーツ・ジュニア選手(00年)以来20年ぶりに制し、チームタイトルも獲得した。一方、EWCは1980年に参戦し、「SERT」チームとして17回の年間王者に輝いた。

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