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浜松の街、人を綴った「浜松百撰(ひゃくせん)」廃刊。ひとつの歴史に幕。

 1957年に創刊した浜松市の月刊タウン誌「浜松百撰(ひゃくせん)」が3月で廃刊となり、66年4カ月の歴史の幕を閉じました。インターネットのない時代、タウン誌は町についての貴重な情報源でした。「浜松百撰」はその先駆けで、1985年には「第1回NTT全国タウン誌フェスティバル」でタウン誌大賞を受賞するなど浜松の文化の一翼を担う存在としても高い評価を得てきました。創刊50周年の際の静岡新聞に掲載された記事を中心にまとめました。

地域に根付いた情報届け66年 「浜松百撰」 歴史に幕 デジタル化に押され 読者から惜しむ声

 1957年に創刊した浜松市の月刊タウン誌「浜松百撰(ひゃくせん)」が3月で廃刊となり、66年4カ月の歴史の幕を閉じた。浜松の人物・歴史、イベント紹介など地域に根付いた企画を届けてきたが、デジタル化の波に押され、ここ数年は部数が減少。「地元の細かな情報が網羅されていた本」「浜松の文化・歴史が詰まっていた」と読者から残念がる声が寄せられている。

浜松百撰のバックナンバーを整理するスタッフ=3月中旬、浜松市中央区の同社
浜松百撰のバックナンバーを整理するスタッフ=3月中旬、浜松市中央区の同社
 最後の796号は創刊からのすべての表紙を特集。B6サイズの小さなタウン誌を「いかに手に取ってもらうか」(編集部)とデザインにこだわってきた。最終号はウナギ、まつりでラッパを吹く人、アクトシティ浜松など、浜松ゆかりのイラスト。巻頭インタビューや、編集室に来た人がノートに書いたことをそのまま掲載する「千客万来」といった名物企画は最後まで続けた。
 前身は静岡日日新聞の記者だった故木崎肇さんが東京のPR誌を参考に静岡市で発行した「静岡百点」。その後、浜松に移って地元の新聞記者が事件の裏側を書くコラムや「百撰文学賞」などの企画で部数を伸ばした。99年の500号発行時は約3万部、ページ数は最終号の2倍以上の150ページに上った。
 浜松百撰自体は無料で、収益は冊子を置く会員店との契約料が中心。80年代は会員店は200店に達したが、雑誌媒体が下火になるにつれ減少し、コロナ禍が追い打ちをかけて最後は40店、部数は約5千部に落ち込んだという。
 高校時代から愛読してきたという浜松市中央区の会社員嶋巳義さん(58)は「地元の話題が満載で、インターネットのない時代に新しい店の情報などは貴重だった」と惜しんだ。2代目編集長の山田明さん、妻で3代目の安池澄江さん両親の後を継ぎ、2007年から編集長を務めた長女は「10年以上前から綱渡りの状態だったが、ついに限界。浜松の皆さんに支えられ、毎月休むことなく発行できた」と感謝を述べた。
 バックナンバーは市立中央図書館のほか、5月ごろから市市民協働センター「はまこら」(中央区)でも閲覧できる。
(浜松総局・大山雄一郎)
〈2024.03.28 あなたの静岡新聞〉

2007年 創刊50周年を迎える

「浜松百撰」が創刊50周年-県内先駆けの無料タウン誌 地元の文化人物紹介

創刊50年を迎える「浜松百撰」の編集部。タウン誌の先駆けは現在も健在だ=浜松市佐鳴台
創刊50年を迎える「浜松百撰」の編集部。タウン誌の先駆けは現在も健在だ=浜松市佐鳴台
 近年、街中で見かける機会が増えた情報誌。飲食店や商品の情報を満載し、店頭などで簡単に手にできる気軽さが市民の関心を呼んでいる。こうした無料タウン誌の先駆けが浜松市にある。名称は「浜松百撰」。今年で創刊五十周年を迎え、現存する中では県内で最も古い。全国的に見ても歴史は長く、半世紀にわたって“浜松の文化”として息づいている。
 「浜松百撰」は昭和32年12月に誕生した。新聞記者だった沢井正敏さんが初代編集長に就き、3~4人のスタッフで活動を始めたという。現在も残る日本初のタウン誌「銀座百点」に倣い、中心街の商店や企業から協賛会員を募る仕組みを採用。紙面に各店の紹介記事や広告を掲載する代わりに入会金や会費を回収し、無料配布を実現させている。
 発行は月一回。これまで一度も休刊していない。49年に「第一回NTTタウン誌大賞」でグランプリを受賞。今年11月には節目の600号を迎える。創刊時からのメンバーで三代目編集長の安池澄江さんは「あっという間だった。楽しみながら作ることが長続きの秘けつ」と振り返る。
 記念すべき創刊号は40ページで、画家山内泉さん、劇団たんぽぽの主宰者だった小百合葉子さんらの座談会が巻頭を飾った。約140ページある現在も月一回、人物や文化に焦点を当てた特集記事をメーンに据える。読者の要望に合わせ、映画やイベントに関する情報も盛り込んでいる。
 取材から編集まですべて4人のスタッフで賄う。営業活動にはほとんど手が回らないが、会員店数はほとんど増減しない。理解ある地元商店や企業の支えに加え、後継者も育ってきた。安池さんの長女で、将来的には四代目編集長に就任する真美さん(42)は「まちの“歴史書”としていつまでも残していきたい」と意気込みを語った。
※2007年3月7日 静岡新聞夕刊
※肩書等初出掲載時のまま

創刊50年の記念式典は盛大に

無料タウン誌「浜松百撰」 市民に愛され創刊50年、記念式典で節目祝う-中区

創刊50周年を祝うパーティーで懇談する3代目編集長の安池澄江さん(右端)と4代目編集長真美さん(右から2番目)=浜松市中区のホテル
創刊50周年を祝うパーティーで懇談する3代目編集長の安池澄江さん(右端)と4代目編集長真美さん(右から2番目)=浜松市中区のホテル
 浜松市にある無料タウン誌の先駆け「浜松百撰」が今年で創刊50周年を迎えたことを祝って(2007年910月)30日夜、同市中区のホテルで記念パーティーが開かれた。同誌の発起人や協賛会員など各界から約270人が出席し、節目の年を祝った。
 「浜松百撰」は昭和32年12月に創刊され、11月号は600号となる。市内の商店や企業から協賛会員を募り、紙面に各店の紹介記事や広告を掲載する代わりに入会金や会費を回収し、無料配布を実現させている。
 創刊時からメンバーで三代目編集長の安池澄江さんは「一般の人たちの言いたいことを活字にしたことによって広く愛され、50年間続いた。『浜松百撰がなくなったら、浜松市の文化が一つ消えてしまう』という言葉もいただきありがたい」と喜びを語った。四代目編集長に就任することが式典で発表された長女の真美さん(42)は「お店の紹介一つにしても表面的ではなく、人の温かさを伝える浜松百撰らしさをつなげていきたい」と意欲をみせた。
※2007年11月1日 静岡新聞朝刊
※肩書、年齢等初出掲載時のまま

4代目編集長・安池真美さん 本紙記者が紹介

私が選んだ浜松人-’07㊤ 浜松百撰新編集長・安池真美さん(中区佐鳴台)-人の息遣い伝え続ける

浜松百撰編集部は、自由に出入りできる開放的な雰囲気。訪問者を「千客万来」というコーナーで紹介している=浜松市中区佐鳴台
浜松百撰編集部は、自由に出入りできる開放的な雰囲気。訪問者を「千客万来」というコーナーで紹介している=浜松市中区佐鳴台
 手のひらサイズでかわいく、知的でおしゃれな雰囲気。浜松に着任してまもなく本屋で出合った一冊の雑誌。10月下旬、この雑誌が県内で最も歴史を持つ月刊無料タウン誌「浜松百撰」だと創刊50周年記念パーティーの取材で知った。その日、4代目編集長就任が発表された安池真美さん(42)=浜松市中区佐鳴台=。写真撮影に苦戦していた私に嫌な顔一つせずにつきあってくれたのも彼女だった。
 もう一度会いたいと浜松百撰編集部を訪れると、アロマの香りで迎えられた。新編集長に抱負を少し気負って聞くと、「百撰らしさをいかに維持するかを一番に考えている」と自然にためらいなく答えてくれた。
 商品、店、街…どんなものにも人がかかわっていることが常に頭にある。「読者が人の息遣いを感じられる雑誌」、それが百撰らしさという。店の紹介一つにしても、人を多く登場させて「わかりやすく、深く書く」が基本。徹底したこだわりが温かみを生む。そうやって浜松百撰は、これまで強い独自性を保ちながら浜松の文化をリードしてきた。
 ただ、「維持することは何もしないこととは違う」。時代を読み、求められていることに応えることも必要だという。しかし、ただ流行を追えば百撰らしさは失われてしまう…。新編集長の微妙な境界線上の模索は続く。
 新編集長は柔軟でしなやかな女性だった。そして、浜松百撰と同じで「しんの強さ」も備わっている。私のいつか追いつきたい存在だ。そんな彼女の作る「人と時代の核心を活字でとらえた浜松百撰」が今後も毎月楽しみだ。
(大滝麻衣)
※2007年12月28日 静岡新聞朝刊
※肩書、年齢等初出掲載時のまま
地域再生大賞