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静岡新聞出版部

【なにぶん歴史好きなもので】​クラーク先生が見た明治初頭の静岡は? 勝海舟伝記出版記念トーク【後編】



12月に静岡市のひばりブックスで行われた『勝安房<日本のビスマルク>――高潔な人生の物語』出版記念トークイベント。
【後編】は明治初頭に開かれた静岡学問所と、そこに招かれたお雇い外国人教師エドワード・ウォレン・クラークの数奇な人生を振り返っていきます。

聞き手/鈴木淳博(静岡新聞社編集局出版部)
イラスト/たたらなおき

◆『勝安房<日本のビスマルク>――高潔な人生の物語』概要
わたしがこれほど勝を好ましく思うのは、おそらく誰よりも彼のことを理解しているからであろう――。明治初頭、静岡学問所で教鞭をとったアメリカ人教師・E.W.クラークは、日本滞在中に多大な支援を受けた勝海舟を敬愛し、その生涯を1冊の本にまとめた。知られざる勝の素顔と静岡への思いをつづった小伝を、原本に掲載された写真も含めて収録した初の完訳版。
https://www.at-s.com/book/article/kyodoshi/1353924.html

勝海舟に呼ばれ、意気揚々と静岡へ

――静岡における勝海舟の功績が分かったところで、話題をクラークに移していきたいと思います。今野先生、クラークが静岡にやってきた経緯について教えてください。

今野:静岡学問所の教授であった中村正直から外国人教師を招くよう進言を受けた勝海舟は当時、福井藩の藩校で教鞭をとっていたウィリアム・グリフィスに、誰か良い人物を紹介してほしいと手紙を書きました。

グリフィスが卒業したアメリカのラトガース大学は、海舟の息子・小鹿(ころく)の留学先でもあり、小鹿はグリフィスから英語を学んだこともあったからです。相談を受けたグリフィスは学友だったクラークを推薦し、クラーク自身もこの要請を快諾しました。

『勝安房』出版記念イベントでトークを行う岡村さん(左)と今野さん

――クラーク自身は日本のことをどう思っていたのでしょう。

今野:幕末から維新期に宣教師として活躍したグイド・フルベッキの斡旋もあり、当時、ラトガース大学には多くの日本人が留学していました。クラーク自身もラトガースで優秀な日本人と接する中で、日本に大きな興味を抱くようになったようです。グリフィスに推薦される前から、来日の準備をしていたぐらいですから、日本へ行ってみたいという思いは相当強かったのだと思います。

――もともと、かなりの親日家だったんですね。

今野:明治4年(1871)に来日したクラークは、静岡県側から契約の条件を示された際、「キリスト教を教えてはいけない」と言われました。しかし、クラークは牧師一家の出身であり、キリスト教の伝道は来日の大きな目的の一つだったため、この要求をつっぱねるんです。すると、その3日後に「布教を許可する」という返答があった。この背景には、間違いなく勝海舟の計らいがあったのだと思います。

――クラークは静岡市のどこに住んでたんでしょうか。

今野:最初は駿府城から3㎞ほど東にある蓮永寺に居を構えました。このお寺は徳川家に関係が深く、勝海舟のお母さんのお墓も建っています。当時はまだ攘夷の空気が残っていたので、海舟は警備をしっかりさせたそうです。

後にクラークは静岡学問所の近く、今の家庭裁判所がある辺りに二階建ての立派な自宅を建てますが、この建設費も海舟が徳川家のお金を使って手配したものです。

静岡学問所で教えたE.W.クラーク(飯田耿子氏提供)

教育を通じて静岡の近代化に貢献

――学問所ではどんな教育を行ったのでしょう。

今野:専門の理化学を中心に幅広い学問を教えました。学問所内に作った実験室の写真も残っています。素晴らしい生徒に囲まれて、充実した教員生活を送ったようです。学問所で教授を務めていた中村正直も、クラークとの親交が厚い人物の一人でした。中村は明治初頭の大ベストセラー『西国立志編』を訳した人物として知られますが、それが静岡で翻訳・出版されたことはもっと知られていいと思います。
 ちょっとここで、岡村先生に伺いたいのですが、静岡学問所は幕府の授産対策、つまり旧幕臣の雇用対策という側面もあったのでしょうか?

岡村:静岡藩が誕生した時、旧幕臣の多くがリストラされてしまいましたが、教育関係者はかなりの数が残りました。そこには藩のために「やはり学問が重要だ」という認識があったのだと思います。

勝海舟などは全国の藩に対して、静岡の優秀な教員を紹介するという、人材派遣業みたいなこともしていました。各地方の学校にとっても、旧幕府の進んだ学問を吸収したいという要望があり、それが旧幕臣たちの仕事につながっていたということはあるのかなと思います。

――そんな静岡学問所ですが、長くは続かなかったそうですね。

今野:ええ。優秀な人々がそろっていたがゆえに、産声を上げたばかりで人材不足の新政府に次々と引き抜かれてしまうんです。明治5年に学制が全国に発布されると、それまで地方独自で行われていた教育が一旦廃止になり、静岡学問所も廃校になってしまった。
そんな政府の姿勢に憤ったクラークは、「こんな素晴らしい生徒がいる学校を潰すのか」と抗議の手紙を書いています。

「そもそも世界的にも一流の大学は大都会にない。オックスフォード、ケンブリッジ、ハーバード、ハイデルベルク、どの国も都会から少し離れたところにある。静岡はまさにそういった地にふさわしい」と力説するのですが、その声が届くことはありませんでした。クラーク自身も最終的には東京の開成学校(後の東京大学)に移り、教育活動を行うことになります。

駿府城に残る静岡学問所の碑

――その後、クラークは明治8年(1875)にアメリカに帰国。3年半の日本滞在に終止符を打ちました。帰国後のクラークは何をしていたんでしょうか?

今野:母国に帰った後は、正式に牧師になりました。『日本滞在記』という本も書きましたが、目が悪かったこともあり、著書はそれほど多くありません。牧師を務めるかたわら、フロリダで農園を経営することになった際、そこが静岡に似ているということで「シズオカ」と名付けたという逸話があります。
 

アメリカで広く読まれた『勝安房』

――時は流れて1904年、日露戦争が勃発すると、クラークは『勝安房』を執筆します。なぜこの本は書かれたのでしょうか。

今野:日露戦争が起こると、アメリカ国内では、ロシアと日本、どちらに肩入れすべきかという議論が起こりました。日本のキリスト教関係者からは、戦争未亡人や孤児を援助する活動に力を貸してほしいという要請もあり、クラークは寄付集めの手段として、『勝安房』の出版を思い立ちます。

クラークはこの10年前にも日本を再訪し、勝海舟と話をしたり、勝から自身の回顧録をもらったりしています。それらを活用しつつ、非クリスチャンでありながら、キリスト教的道徳を備えた人物として、勝海舟を紹介する伝記を書いたのです。

今回、完訳版として出版された『勝安房』

――出版後の反響はどうだったのでしょう。

今野:6週間で1万部近く売れました。当時、アメリカの世論は日本びいきだったこともあり、人々に受け入れられやすい状況だったようですね。ところが、ここで大事件が起こります。出版を請け負った人物が、その寄付分の売上金を持ち逃げしてしまったのです。
新聞にはクラークもこの犯罪に関与しているような書かれ方をされてしまい、本自体の評価もうやむやなまま終わってしまいました。こうしたことも、クラークの知名度の低さの原因になっているのかもしれません。

静岡のポテンシャルを示すクラークや渋沢栄一の存在

――そんな経緯があったんですね。今回の翻訳出版を機に、クラーク顕彰の機運が高まるといいのですが。

岡村:今回、『勝安房』が翻訳出版されてよかったのは、解題が付されたことです。歴史を研究する上で信頼がおける史料は、ものごとが起きたのと同時代に書かれたものですが、クラークの『勝安房』は、クラークが静岡を去ってからかなり後にまとめられた著作物のため、記述の信頼性は相対的に低いと言わざるを得ません。しかし、今回の『勝安房』は今野先生による解題が付されたことにより、歴史資料としての価値は高まったと言えます。

今野:静岡は歴史上、何度か日本の中心地になりかけたことがあります。徳川家康もそうだし、渋沢栄一にしても彼がもう少し長く静岡にいたら経済の中心地になっていたかもしれない。クラークにしても静岡が教育文化の中心地となると信じて、いろいろ活動したのだと思います。クラークという人物を、そういった静岡の持つポテンシャルを示す一人として見ると、静岡の歴史の見方が変わってくるような気がしています。

――お二人には、まさに静岡の知られざる歴史の一幕をお話いただきました。本日はありがとうございました。

◆今野喜和人さん
静岡大学名誉教授。東京大学人文科学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。専門は比較文学文化。リュファン『永遠なるカミーノ』(春風社、2020年)など、仏語・英語の翻訳書多数。

◆岡村龍男さん
豊橋市図書学芸員。駒澤大学人文科学研究科歴史学専攻博士後期課程単位取得退学。専攻は日本近世史。著書に『渋沢栄一と静岡 改革の軌跡をたどる』(静岡新聞社、2021年)がある。

▼前編記事はこちら
生誕200年の今こそ知っておきたい勝海舟と静岡の関係。伝記出版記念トーク

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