テーマ : 編集部セレクト

「ちゃっきり節」狐ケ崎遊園の開園時に作詞曲 【しずおか学・地域のうた編】

      
 静岡県内各地に伝わる民謡、伝承歌、風景を描いた唱歌や歌謡曲。土地に根差した「うた」がどう生まれ、どう継がれているのか。
 「ちゃっきり節」は、静岡県民に最も広く知られ、愛唱されてきた「うた」の一つだろう。1927年、静岡電鉄(現静岡鉄道)が沿線開発の一環として整備した「狐ケ崎遊園」(後の狐ケ崎ヤングランド)=静岡市清水区=の開園を記念して作った。
 同社の長谷川貞一郎・遊園部長の三顧の礼に応え、作詞家北原白秋が「次郎長」「焼津」「三保」「吐月峯」といった県中部の風物を織り込んだ全30編を紡いだ。長谷川部長と白秋の面会には、小説家・正宗白鳥も一役買ったという。作曲は、白秋が邦楽作曲家の町田嘉章を指名した。
北原白秋から1927年に静岡電鉄に届いた「ちゃっきり節」の直筆の歌詞原稿。12月14日の消印が入った封筒とともに静岡鉄道が保管している
 茶史の研究で知られる中村羊一郎・前静岡市歴史博物館長は「ちゃっきり」という茶ばさみの音を取り入れた点に着目する。
 「福岡・柳川出身の白秋は、地元にも茶産地があり、全国の茶摘み歌を耳にしていた。そんな彼にとって、効率を旨として手摘みに変わって普及し始めていた茶ばさみの音は新鮮だったのだろう」
 「県茶業史」によると、県内の摘採はさみ数は20年代半ばに10万丁を超え、40年代には16万丁に達する。白秋が作詞のために静岡で取材した時期は茶畑の労働形態の変革期と重なる。中村さんは「茶摘み歌の新時代を作った」と分析する。
 ちゃっきり節を発注した静岡鉄道では「ちやっきりぶし」と表記する。87年に「60周年記念フェスティバル」、2007年には「八十才を祝う集い」を開き、楽曲のルーツを思い起こす機会とした。総務部の国松真哉特命課長は「会社だけでなく、地域にとっても重要な歌」と話す。3年後の100周年に向け、企画準備を進める構えだ。
 (教育文化部・橋爪充)
静岡伝統芸能振興会のイベント「静岡をどり」で、ちゃっきり節の歌と踊りを披露する清水芸妓置屋共同組合の芸妓=5日、静岡市葵区の「浮月楼」(写真部・堀池和朗)

お座敷歌として各地に普及  「ちゃっきり節」は作曲者の町田嘉章が「お座敷唄風な曲に作った」と記している(「ちやっきりぶし覚え書」)。完成直後には自ら、静岡や清水の芸者衆に歌を指導した。県外で歌われたのは山梨・甲府の花柳界が初めてで、その後東京の赤坂、新橋でもお座敷歌として広まった。
 ちゃっきり節と芸妓[げいぎ]の関わりは現在も続く。清水芸妓置屋共同組合(静岡市清水区)の組合長・寿々女さんは「新人が最初に習う曲。やっぱり『地のもの』をしっかりやらないと」と話す。

いい茶0

編集部セレクトの記事一覧

他の追っかけを読む
地域再生大賞