テーマ : 熱海土石流災害

島田 大雨のたびに前兆 「危険の芽」小さいうちに【絶えぬ残土崩落 熱海の教訓から㊦】

 記録的豪雨により、静岡県内の中山間地で土砂崩れが相次いだ9月の台風15号。大井川中流の島田市福用でも、川沿いを通る国道473号と大井川鉄道の線路が土砂に埋まった。ただ、通常の土砂崩れとは状況が異なる。土砂の発生源をたどると、面積約17ヘクタール(東京ドーム3・6個分)の巨大な採石場跡地が広がっている。崩れ落ちたのは、採石用に切り崩した山腹にうずたかく積まれ、長年放置されていた残土の山だった。

崩落した採石場跡地と国道の土砂は大井川鉄道の線路をふさぎ、長期運休を余儀なくされた=9月、島田市福用(本社ヘリ「ジェリコ1号」から)
崩落した採石場跡地と国道の土砂は大井川鉄道の線路をふさぎ、長期運休を余儀なくされた=9月、島田市福用(本社ヘリ「ジェリコ1号」から)
大量の土砂が流出する前の採石場跡地周辺。土砂流出前は調整池が確認できる(グーグルアースから抜粋)
大量の土砂が流出する前の採石場跡地周辺。土砂流出前は調整池が確認できる(グーグルアースから抜粋)
崩落した採石場跡地と国道の土砂は大井川鉄道の線路をふさぎ、長期運休を余儀なくされた=9月、島田市福用(本社ヘリ「ジェリコ1号」から)
大量の土砂が流出する前の採石場跡地周辺。土砂流出前は調整池が確認できる(グーグルアースから抜粋)

 「2年くらい前から大雨のたびに泥水や石が流れ出してきた。放っておくと危ないと思っていた」。近くに住む男性(74)は通行止めが続く国道に目を向けて当時を振り返った。今回の大崩落に至るまでに“前兆”は何度も繰り返されていた。
 国道を管理する県島田土木事務所によると、2020年5月から22年9月までに、土砂流出で国道は9回にわたり通行止めになっていた。しかし、採石場に捨てられた違法残土を撤去するため、県が森林法に基づく行政代執行を始めたのは台風15号襲来の1週間前だった。
 男性によれば、通行止めにならなくても大雨のたびに濁水の流出はあった。国道側に水や土砂を流さないように採石場内には調整池が設けられていた。男性が「調整池がいっぱいになっているかもしれない」と同事務所に改善を求めたが、対応は道路に流出した土砂を撤去し、採石場入り口に大型土のうを設置するだけ。本庁を含めた対応が始まったのは今年5月以降だった。
 そもそも採石場で許可を得ずに残土投棄がされるようになったのは13年ごろ。県は14年7月に採石法に基づき、土砂の撤去や調整池の整備などを求める措置命令を業者に出した。しかし、間もなく業者は破産手続きに入る。河川砂防管理課によると、業者側は調整池とえん堤は整備したが、資金不足で肝心の大量土砂の撤去に動かなかった。
 静岡大の土屋智名誉教授(砂防学)によると、一般的に土砂災害の前には川の水の濁りや落石などの前触れがある。一般市民も土砂の量や石の大きさが普段と違うなど異変に気付いたら、「さらに大きく崩れる危険性があるとの認識を持ってほしい」と強調する。
 採石場跡地から崩落した大量の土砂の撤去は1カ月以上を要した。大鉄は長期運休を余儀なくされ、観光業を含め地域にも大きな負担を強いることになった。土屋名誉教授は「危険の芽は小さいうちに摘むという意識は行政にも住民にも必要だ」と警鐘を鳴らす。

下流へ泥水流出繰り返す 伊豆山の悲劇 生かせるか
 熱海市伊豆山の大規模土石流が発生した逢初(あいぞめ)川は上流域で開発が始まった段階から、河口に泥水がたびたび流出した。
 崩落した盛り土(積み上げた残土)が造成される前の2007年4月に「相当の濁りを確認」と市が記録。残土が大量搬入された09年10月には漁師が河口付近の海の濁りを県に通報し、当時の県担当者は「危険な状態を放置することは許されない」と文書に記していた。崩落部の盛り土は表面に雨水がたまったり、ひび割れたりする状況だったが、防災工事は未完のまま放置され、大量の土砂は撤去されなかった。
 土石流で首都圏と伊豆半島を結ぶ国道135号は1カ月近く通行止めになり、観光などに影響を与えた。

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