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熱海伊豆山の警戒区域解除 「家路自由に」帰還は多難 土石流から2年2カ月 

 災害関連死を含め28人が犠牲になった熱海市伊豆山の大規模土石流で、市は1日、土砂が流れ下った逢初(あいぞめ)川流域の被災地に設けていた立ち入り禁止の「警戒区域」を解除した。2021年7月3日の発災から2年2カ月。被災者の生活再建と現地の復旧復興を阻んでいた規制が、ようやく取り払われた。

警戒区域に張られた立入禁止のロープを外す熱海市の斉藤栄市長=1日午前9時すぎ、同市伊豆山(写真部・小糸恵介)
警戒区域に張られた立入禁止のロープを外す熱海市の斉藤栄市長=1日午前9時すぎ、同市伊豆山(写真部・小糸恵介)
解除された警戒区域内の自宅に戻る住民=1日午前9時半ごろ、熱海市伊豆山(写真部・小糸恵介)
解除された警戒区域内の自宅に戻る住民=1日午前9時半ごろ、熱海市伊豆山(写真部・小糸恵介)
解除された警戒区域内の自宅で窓とカーテンを開ける住民=1日午前9時半ごろ、熱海市伊豆山(写真部・小糸恵介)
解除された警戒区域内の自宅で窓とカーテンを開ける住民=1日午前9時半ごろ、熱海市伊豆山(写真部・小糸恵介)
警戒区域内を歩く熱海市の斉藤栄市長(左)=1日午前9時すぎ、同市伊豆山(写真部・小糸恵介)
警戒区域内を歩く熱海市の斉藤栄市長(左)=1日午前9時すぎ、同市伊豆山(写真部・小糸恵介)
解除された警戒区域内では大きな石が置かれたままで、崩れた擁壁には白いシートが掛けられていた=1日午後、熱海市伊豆山(写真部・小糸恵介)
解除された警戒区域内では大きな石が置かれたままで、崩れた擁壁には白いシートが掛けられていた=1日午後、熱海市伊豆山(写真部・小糸恵介)
警戒区域に張られた立入禁止のロープを外す熱海市の斉藤栄市長=1日午前9時すぎ、同市伊豆山(写真部・小糸恵介)
解除された警戒区域内の自宅に戻る住民=1日午前9時半ごろ、熱海市伊豆山(写真部・小糸恵介)
解除された警戒区域内の自宅で窓とカーテンを開ける住民=1日午前9時半ごろ、熱海市伊豆山(写真部・小糸恵介)
警戒区域内を歩く熱海市の斉藤栄市長(左)=1日午前9時すぎ、同市伊豆山(写真部・小糸恵介)
解除された警戒区域内では大きな石が置かれたままで、崩れた擁壁には白いシートが掛けられていた=1日午後、熱海市伊豆山(写真部・小糸恵介)

生活基盤 復旧これから
 午前9時、斉藤栄市長が「警戒区域を解除します」と宣言し、立ち入り禁止を示すロープを取り外した。被災者は2年余りの不自由な生活を思い返しながら、ゆっくりと区域内に足を踏み入れた。警戒区域が解除されたとはいえ、電気や道路などの生活基盤の復旧が途上で、アパートなどで避難生活を送る被災者の多くがいまだ帰還できない。
 避難先から一時帰宅した岩本とし子さん(80)は「自由に家に出入りできるのはうれしい」としみじみと語った一方で「周りの家が流されてなくなり、帰ってくる人も少なくてさみしい」と口にした。電気などのライフライン復旧はこれからで、自宅を修繕後、年内にも帰還するという。
 市によると、避難生活を送る100世帯180人(8月末現在)のうち帰還を希望しているのは41世帯82人。復旧復興が道半ばのため9月中に帰還できるのはわずか7世帯13人で、23年度中の帰還も計19世帯39人にとどまる見通し。このほか、39世帯62人が警戒区域外への再建を希望し、20世帯36人が未定としている。
 警戒区域は災害対策基本法に基づき、市が土石流発生から約1カ月半後の21年8月16日に指定した。今年3月に逢初川上流部に新砂防ダムが完成し、8月26日には県が行政代執行で進めていた土石流起点の不安定土砂撤去が完了したことを受け、市は被災地の安全性が確保できたと判断した。
 斉藤市長は警戒区域解除後の取材に「大きな節目。安全安心に配慮しながら、被災者や住民の声を聞いて一歩一歩、復旧復興を前に進める。1世帯でも多くが帰還できるように努める」と述べた。
 (熱海支局・鈴木文之)

「帰れる状況ではない」電気使えず、道路整備もまだ
 ロープの外からは見えなかった厳しい現実が、そこにあった。熱海市伊豆山の大規模土石流の被災地に設けられていた立ち入り禁止の「警戒区域」が解除された1日、現地に初めて足を踏み入れて率直にそう感じた。荒廃した集落に残る住宅の中は激しく傷み、ライフラインも復旧していない。生活再建したくてもままならない-。被災者の切実な思いに、ただただ耳を傾けるしかなかった。 photo03 電気が復旧していない警戒区域内だった自宅で汗を拭う住民=1日午前、熱海市伊豆山  2021年7月3日、逢初(あいぞめ)川源頭部から約2キロを流れ下った土石流。発生当初から現地で取材してきた。2年以上の歳月が過ぎたが、泥がこびりついた壁や破壊された家の周りは、あの日から時が止まっているように感じた。
 逢初川中流部で半壊した女性(73)宅に上がらせてもらうと、21年7月のカレンダーがつるされていた。床にはネズミのふんが転がり、電気が復旧していなかった。周辺の道路整備が進まず、自宅の修繕が着手できないという。蒸し暑く、薄暗い部屋の中で女性は「とても帰れる状況ではない。9月1日は大きな節目になると思っていたけど、何も先が見通せない」と深いため息をついた。
 急峻(きゅうしゅん)で狭い坂道が続く被災地には、空き地が増えているように感じた。県と市が24年度中の完成を目標にしている逢初川の拡幅と市道整備に要する土地は、ほとんどが手つかずのままだった。
 「これじゃあ、ゴーストタウンだ」。妻と自宅を土石流で失った田中公一さん(74)は、自宅跡地の雑草を刈りながら嘆いた。田中さんは土地の一部を県と市に売却する契約を既に結んでいる。残りの土地に自宅を再建したいと思っていたが、今は地区内の別の場所で建設を進めている。「復興事業の遅れを待てない。自分で前に進むしかない」。そう思う半面、「戻らない決断をした人はたくさんいる。元の伊豆山に戻るのは無理ではないか」と寂しげにつぶやいた。
 下流部を訪ねると、竹沢敏文さん(75)が祖父の代から続く理髪店の掃除に汗を流していた。ライフラインは復旧し、避難生活を送っていた市内の住宅は既に引き払ったという。準備が整い次第、営業再開できる。警戒区域の解除はその大きな一歩だが、「今日が特別な日という感覚はない。まだまだ先は長い」と淡々と語り、店内のいすに積もったほこりを拭き取っていた。
 この日、自宅での生活を始める被災者に出会うことはできなかった。警戒区域の解除は被災地、被災者にとって一つの節目に過ぎない。復旧復興への道のりは長いと実感させられた。
 (政治部・豊竹喬)

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