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先月急逝、森下イズム継承へ 御殿場西高野球部、竹内新監督「バントなし、サインなし」

 御殿場西高野球部監督で、2007年春に常葉菊川(現常葉大菊川)高を選抜優勝に導いた森下知幸氏(享年62)の急逝を受け、御殿場西の新監督に、副部長だった竹内健人氏(31)がこのほど、就任した。竹内新監督は森下氏の常葉菊川時代の教え子で、目指すのは「バントなし、サインなし、選手主体の野球」。競技人口減少の一途をたどる高校野球界に、森下イズムで再び旋風を巻き起こす。

選手にバッティングの指導をする御殿場西の竹内新監督(右)=御殿場西
選手にバッティングの指導をする御殿場西の竹内新監督(右)=御殿場西
選手に語りかける御殿場西の竹内新監督(右)=御殿場西高
選手に語りかける御殿場西の竹内新監督(右)=御殿場西高
故森下知幸さん
故森下知幸さん
選手にバッティングの指導をする御殿場西の竹内新監督(右)=御殿場西
選手に語りかける御殿場西の竹内新監督(右)=御殿場西高
故森下知幸さん


 竹内監督は亜大を経て17年4月に御殿場西に着任。コーチとして恩師を支えてきた。森下氏との出会いは14歳のころ。母親が森下氏と同じ常葉菊川の職員だった縁で、実の息子のように目をかけてもらったという。中学生だった当時は、後に東大に進んだ兄と比較されて勉強嫌いになり、将来の夢も描けずにいた。自宅近くの同校に「3年間球拾いのつもり」で入学したが、その3年間がその後の人生を大きく変えた。
 高3で1番打者、遊撃手、主将に。指導者へと導いてくれたのも森下氏だった。「野球をやっていなかったら自分は“くず”だったと思う。人生を180度変えてくれた恩人」。高校時代、打席で指揮官からサインが出たことは一度もない。狙いは常にホームラン。塁上では盗塁だ。今春から高校野球は低反発バットを採用し、スモールベースボールが主流となる見通しだが、竹内監督は犠打を封じ「選手が目指したい選手像を追求してもらう」と話す。
 過去の栄光にあぐらをかかなかった森下氏は、自身に遠慮なく反論する竹内監督を好んで近くに置いた。二人で古豪を立て直し、18年秋の県大会を27年ぶりに制した。ただ、最近は思うような結果が出ず、意見がぶつかり合うこともあった。昨秋の県予選敗退後、森下氏は自身の采配に責任を感じ「夏でおまえ(竹内監督)に譲る」と話していたという。
 森下氏が最後のタクトを振るうはずだった夏に向かってチームは再出発を切った。加藤優弥主将は言う。「森下先生はいつも、特等席で野球が見たいと話していた」。監督のサイン、指示なしに選手が自分で考え、動く様子をベンチで眺めるのが理想だと語っていた。夏の甲子園に天国の恩師を招待するつもりだ。
 (結城啓子)

長女誕生、恩師が「奇跡」
 伊豆の国市内の病院で1月16日午後11時39分、森下氏が大動脈瘤(りゅう)破裂で息を引き取った2時間46分後、同病院で竹内監督の長女紬(つむぎ)ちゃんが産声を上げた。低体重もあり新生児集中治療室(NICU)に移された紬ちゃんだったが、医師も驚く速さで回復し、退院の日が近づいているという。竹内監督は恩師が「奇跡」を起こしてくれたと感じている。

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